そこはいつか見た景色に似ていた。

ぼくは花畑にいる…
無機質で無色な、それでいて確かな生を感じる花がぼくの足元から遥か地平線まで絶え間無く続いている。
いったいどうやってここに来たんだろう。
前も後ろも足の踏み場が無いほど透明な花が咲き乱れ、一歩だって進めないし、戻れない。
その中にぼくの足が埋まっている。
足元の花を一輪摘んでみる。
ぼくが触れた途端、輪郭だけで形作られた花は脆く崩れた。
こんなに生に満ち溢れ、張り裂けんばかりに咲いている花が、何故ぼくが触れるだけで壊れてしまうのだろう。
もう一度手を伸ばす。
結果は同じ、ただ触れただけで枯れ行く。
悲しくなって目線を落とす。
そこで気付いた。
花がぼくの足を埋めているんじゃなくて、ぼくが花の床に穴をあけているんだ。
踏みつけ、壊してしまった花に謝り、足をどける。

―あ

また花が散る。
急いで足を上げるが花は形を失い、風に溶けていく。

―あ

また、花が散る。
足を上げ踏み躙った命を尊び、弔い、別の場所に降ろすその都度、新たに花は死んでいく。
殺してしまった命を気遣い、また命を殺す。
ぼくは狂ったようにそれを繰り返した。





いつしか、ぼくの周りは花が消えていた。
花の世界に空けられた一つの孔。
心が痛い…
なのに身体は軽い。

まるで、花の命を吸い取ったかのように…

ふと、ぼくを呼んでいる声が聞こえた。
あたりを見回す。
人影なんて見つからない。

―ここには誰もいない。ぼくを除いて

また呼ばれた。今度はさっきより小さな声。

―遠のいていく。誰もここには居られない。ぼくを除いて

また呼ばれた。今度は聞こえない。

―消えていく。それが必然。ぼくを除いて

走った。全てを犠牲にして。
声が聞こえた方へ。声が聞こえる方へ。

走る。走る。走る。





そして、ふと振り返る。
世界に、ぼくの進んだ軌跡が刻まれていた。

それは命。
踏み出すたびに散って行った幾多の声。

それは泪。
無意味な懺悔と、その痕跡。

それは血。
変わらない過去と、終わらない後悔。





泣きながら走る。
怖いからじゃない。
これだけの命を犠牲にしてぼくは生きる。
これだけの命を犠牲にしなければ生きられない。
ただ、それが悲しくて涙が流れる。





どのくらい走っただろう。
どのくらい傷を刻んだだろう。
それでも出口は見えない。

―世界に出口があるとでも?

走る。止まるわけにはいかない。
走る。謝るわけにはいかない。
走る。間違うわけにはいかない。

―犠牲にするとは、そういうことだ。

転んだ。なにも無い所で転んだ。
身体に触れた花は瞬時に散る。
それにしても可笑しい話だ。
転んだはずなのに身体に疲れは無い。足も動く。

だからきっと、止まる理由が欲しかっただけなんだ。

泣きながら笑う。
己の情けなさが悔しく、可笑しい。










瞼越しに淡い光を感じる。
目をうっすらと開ける。まぶしい。
木漏れ日に目を焼かれ、ぼんやりしていた意識が起き始める。
どうやら顔にだけ光が当たっているようだ。
身をよじり、身体を横にずらした。
急ぐ事もないと、そのままぼんやりと時を過ごす。
木々に遮られながらも青々とした晴天を見ることができた。
どうやら木の下で寝ていたようだ。
ずっとこのままでいたい気もするが、何故自分が木の下で寝ているのかも気になる。
だから起きることにした。





―ズキン





「ガッ…」

上半身を起こすと腹部に激痛が走り、眩暈がした。
巻き戻すように倒れる。無駄に重い脱力感が襲ってくる。
無理をして気絶するわけにも行かないので、落ち着くまで横になることにした。
一息つき、ゆっくりと上半身を起こしていく。

「ふぅ」

身体がやけに重い。
いったい自分は昨日―昨日?―何をしたのだろう?
考えても何も浮かばない。
呆けていても仕方がないので、とりあえず痛んだ腹部を見おろす。

「なっ…」

腹が血だらけだ。
あわてて傷口をさがすがそれらしいモノはみつからない。
胸に大きな傷―胸の傷?―があるが、それは少なくとも処置が終わって一週間は経っている。
おまけに、腹にぶちまけられている血には関係ないが、左脇にも最近出来たであろう酷い痣―痣?―がある。
血が出ている傷は見つからないが、重傷を二つ見つけることができた。
安心していいのか悪いのか微妙で、どう反応すればいいのかわからない。
とりあえず今の状況を把握しよう。
そう言えば顔の確認を忘れていた。
手で顔を撫でると、顎の辺りがパリパリしていた。
手で探っていくと口の周りにも同じ物がこびりついている。
舌を伸ばし舐めてみると、錆の味がした。
どうやら腹の血は吐血の跡らしい。―なんで?―





結局、処置済みの重傷、最近出来た大きな痣、吐血の後、これ以上の負傷は見つからなかった。
他にも身体中に擦り傷があるが、たいした事はないので保留する。それはそれで問題なのだが手当てをする必要がある傷はなかったので、急ぐこともないだろう…
あとは両足の筋肉が切れかかっている―なんで?―し、
後頭部にたんこぶ―なんで?―があって、触るととても痛い。
よくよく見れば身体はぼろぼろで、安静にしておいた方が無難なんだろうがそれでも活動に不備が出るほどの傷は無い。
いつまでも森の中に居るわけにもいかないので外に出ることにした。
身体が思うように動かない。
後ろにあった木を支えにして何とか立ち上がる。

その木には何かがぶつかって出来たような凹みがあった。

身体を少し動かすだけで骨は軋み、筋肉は悲鳴を上げ痙攣する。
一歩一歩に全神経を集中させないと少しも前に進めない。
足を踏み出す毎に痛みが全身を舐める。
いたるところにある木を杖代わりに、林の出口に向かい一歩一歩慎重に足を進めていく。
それでも何度か転び、結局十メートルあるかないかという距離を歩くのに小一時間かかってしまった。
最後の木に手をつき、乱れた呼吸を整える。
そして顔を上げた。





そこは焼け野原だった。





あるのは家の骨組みだったのか所々交わり、直方体を形作る炭と、
噎せ返るような臭いの煙を上げながらゆっくりと灰になって行くナニかだけだった。





―ズキン





寄りかかる物が無い荒野をふらつきながら歩く。
目に写るのは先と変わらず煙を上げるナニかと、燃え尽きた家の残骸だけだ。
身体が激しく痛み、動くのを止めろと訴えてくる。
そのせいで意識は朦朧とし、視界がぼやける。
代り映えのしない舞台を一人ふらふら歩く。
観客は焼け焦げたナニか。
主役は手足をぎこちなく動かし、どこに向かっているのかわからない人形。
そして、ついに主役も飽きられたみたいだ。
糸を切られその場に崩れ落ちた。

















「きみ。そんなところで寝てると危ないわよ」

頭を軽く小突かれる。

「えっ?」

驚いて飛び起き、辺りを見回す。

「え。じゃないでしょ?ぼやぼやしてると蹴り飛ばされるわよ?」

誰かの声がぼくの頭の上からふってくる。
その声はとても不機嫌そうだ。
まるでぼくがこの人の邪魔をしたみたいに。

「だれが?」

余程深い眠りだったのか、飛び起きたにもかかわらず意識がまだぼんやりしていてよくわからない。

「ばかね。ここには君と私以外誰もいないんだから、君が私に蹴り飛ばされるに決まってるでしょ」

何を考えてるのか、その人はそんなふざけた事を偉そうに言ってきた。
ちなみにさっきぼくは小突かれたんじゃなくて頭をつま先で突つかれたらしい。

なんかちょっと頭にきた

ぼくが何故ここで寝ていたかはわからないが蹴り飛ばされる謂れは無いはずだ。

「こんにちは。気分はどう?」

顔をあげると、その人は晴れやかで子供のような笑顔をぼくに向けながらそう呼びかけてきた。
と、言うよりわざとだろうか?
血まみれの、一目で異常だとわかる姿をしているぼくに対してそう訊いてくるなんて。

「…悪くないです」

「そう。よかった」

なにが嬉しいのかその人は幸せ一杯な表情を浮かべながらぼくを見ている。

「私は蒼崎青子。ここであったのも何かの縁だし、少し話し相手になってくれない?」

疑問のはずなのに答えを聞かず、ぼくの横に腰をおろす。
まぁ断る理由は無いから別にいいんだけど…
それでも釈然としないまま、ぼんやりとその人、蒼崎青子さんを見ていた。

「ねぇ、名前を聞いたら自分も名乗るのが礼儀でしょ?」

不機嫌そうに言いながらぼくの頬をつついてくる。
ただ単に遊びたいだけなのでは?とも思うが、言っていることはもっともなので反論できない。

「あ…はい。ぼくは………あれ?」

なんて間抜けだ。今まで何をしていたんだ…

「なに?もったいぶるのはよくないわよ?」

「あの?」

「ん〜?ほらほら早く」

「わかりません」

ぼくは名前どころか、ここがどこで、何故こうなっているのかもわからない。
その事に気付かずに今までぼんやりと構えていたらしい。
自分の無警戒振りにため息が出た。





「ちょっといい?」

そう言ってぼくの顔を両手で持ち、自分の方に引き寄せる。
何をするのかと思えば、真剣な表情で目を覗き込んでくるだけだ。
…そのまぁなんと言うか……キレイな人だと思う。
肩からこぼれおちている髪は真紅。
覗き込んでくる目は空を閉じ込めたかのような青色。
そして真剣な、磨いだ刃のような表情はこの人によく合っている。

「あの…えっと…何ですか?」

その姿にどぎまぎしながら、なんとか訊ねる。

「ふーむ。嘘じゃないみたいね」

何か根拠があるのかそう呟き、ぼくの存在がまるで無いかのように一人で思案し始める。

「で、何も思い出せないの?」

何かに思い当たったのか、完璧に無視していたぼくに話を振ってきた。
さっきまでのニコニコ顔はどこにいったのか、真剣な表情をしている。
こうして見るとさっきまでの笑顔は仮の姿で、今のような真剣な姿こそがこの人の本性だと思える。
それにしてもぼくは呆けすぎだ。
何でかわからないけど頭がくらくらする…
ぼくは首を横に振る。
真剣になってくれている青子さんには悪いが、何もわからない。
何かきっかけがあれば思い出せるかもしれない。
が、きっかけになりそうなものは何も思いつかない。
まぁ思いついてしまったら、それはそれでおかしな話になってしまうのでなんとも言い難いが。

「まったく思い出せないの?」

青子さんは再度確認してくる。
どうやら何でもいいから思い出せるものはあるか?と訊いているみたいだ。

「昔を思い出そうとして浮かぶのは…月と誰かの言葉だけです」

そう…思い出せるのは真っ黒の空に一人で浮かぶ、月。
それと対極にあるかのような赫い月。

そして、雪の花との約束。
約束の内容は覚えてない。でも、それは大切なモノだった気がする。

「青子さんはぼくのこと知らないんですか?」

もしかしたら。と思いそう問いかける。





「私の名を口にしないで」





そう返してきた彼女の顔は異質だった。
青子さんは真剣な顔で見つめてくる。
先と違う点があるとすれば、それは何かに対する憎悪を必死に殺しているため、真剣、と言うより無表情になってしまっていることだろう。

「私自分の名前が嫌いなの。二度と呼ばないで」

いくら君でも二度目は我慢できない。と仇を見るような目でぼくを睨みながらそう言った。
しばらくして、青子さんはぼくが固まっているのに気付き、ごめんね。と表情を和らげる。
まだカチコチでぎこちないが、それでも先と比べると人の顔だと言えよう。
さて、どうしよう。
なんて呼べばいいんだ?
生憎すぐにあだ名が思いつくほど器用じゃない。










結局、考えに考え抜いて『先生』と呼ぶことにした。
理由は、なんか偉そうだからだ。
考えた割には理由も呼び方も陳腐だと思うのは禁止する。









「さっきの答えだけど、知らないわよ。ここにはたまたま寄っただけだから」

青子さんは先生と呼ばれるのを何気に喜んでいるらしい。
真剣な表情を保とうとしているが、目元と頬が緩んでいる為ぼくにでもわかる。
でも、それを言うと怒るだろうから一人で笑うだけにした。

「そうですか」

少し期待していただけにショックも大きい。
先生ならぼくを知っていて、あっという間に記憶も元に戻るかもしれないと夢を見ていた。
でもそれは所詮夢で、現実はそう甘くないのだろう。

「そうそう。さっきあっちで見つけたんだけど、これ知らない?」

そう思い、諦めかけた矢先。
先生はポケットをごそごそ探り、少し血のついた鉄の棒を取り出した。
そして、はい。と、何か文字が書いてある方をぼくに向け、渡してきた。
どうやらナイフのようだ。柄は鉄製で、頑丈そうな作りになっている。
そして、柄の根元辺りに『七夜』と彫られている。

右手で受け取り、握ってみる。

―ドクン―
―ドクン―
―ドクン―
―ドクン―
―ドクン―





―知っている





ぼくはこのナイフを知っている。





「アァ…」

気付いたら喉はカラカラに乾いてまともに声も出せない有り様になっている。

―しかたがないじゃないか。

ナイフの刃を出す。パチン、と音を立てキレイな波紋の刃が顔を出した。
ナイフの刃はとてもキレイで、柄はぼくの一部なんじゃないかってぐらい手に合っている。

―渇望するほどコレが欲しかったのだから。





なんで今まで気付かなかったんだろうか。
世界はこんなにも『線』と『点』で溢れている。

―『線』も『点』も知っている?

『線』に気付いたからだろうか、突然激しい頭痛が頭を襲った。
あまりの痛さに涙がこぼれる。





―思い 出 し  た





「これぼくのです」

このナイフが教えてくれているんじゃないかってぐらい記憶が甦ってくる。

「そう。ほかには?」

「自分の名前と、その意味。あと眼の事を」

この三つはナイフが教えてくれた。
だけどそれ以外は教えてくれないからまだ白紙のままだ。

「そのナイフ、そんなに大切な物だったんだ」

「うん。ぼくの名前は七夜志貴。そしてこのナイフがぼくの武器です」

誇り…。
悲しいことに七夜としての誇りすら忘れていた。

「七夜…それって退魔師の家系の七夜?」

「知ってるんですか?」

「そりゃね。結構有名なのよ?」

先生は、それに知り合いだしね。と付け加える。

「それで、眼って何?その魔眼のこと?」

ぼくとしては先生が七夜と知り合いというのが驚きだ。
それについて聞いてみたいのだが、今はぼくのことを整理するほうが先決だろう。

―いや、まて…

「わかるんですか?」

「わかるわよ。人の眼ってのは蒼く光ったりしないのよ?」

馬鹿にしないで。と不機嫌そうに言う。
なんでもないことのように話していたから思わず流してしまうところだったが、
先生は当たり前のように魔眼と口にしたし、簡単に魔眼であることを看破していた。
それでようやく先生が普通の人でないことに気付いた。
それ以前に、こんな焼け野原で平然としていられること自体おかしい。
その時に気付くべきだった。

「先生は何者なんですか?」

知らず声が硬くなる。

「そんなことどうでもいいじゃない。私は君のことが聞きたいの」

それに気付いてか気付かないでか、あっさりと流された。
この人は自分の意志を曲げない(我侭な)人だとわかっている。
だからぼくが答えない限り、絶対に答えてくれないだろう。





だから『線』の事を先生に話した。
いたるところに『線』があり、その継ぎ目には『点』がある。
意識すればするほど『線』ははっきり見えて、『点』は特に集中しなければ見えない。
頭痛が常にして、『線』を見ようとすればするほど強くなる。

そんなことをつっかえながら説明した。
先生は子供の妄想だ、とか馬鹿にせず、真剣に聞いてくれた。





「そう。かわいそうに」

先生はぼくの頭を撫でながら呟いた。

「きっと君の眼は回路が開いてしまっているね。
 いい志貴。あなたが見ているものは本来見えてはいけないもの。
 万物が辿り着く結果。言うなれば未来ね」

「…みらいを……見てる、の?」

ぼくにはよくわからない言い方だった。
理解できたのは未来と言う言葉だけ。

未来。希望に溢れる言葉なのに、この時だけは終わりのように聞こえた。





「今はこれ以上知る必要は無いわ。将来、必要になったら自ずと知るでしょう」

これ以上は知るな。と言うことだろう。

「その左手に捲いてる布が魔眼殺し?」

左手に目をやる。
訊ねられ初めて、布の存在に気付いた。
左手には白い布が巻かれていた。
血にまみれたぼくの身体の上で、その布だけは血に濡れることなく純白を保っている。

「魔眼殺しってなんですか?」

「文字通り魔眼の能力を殺す道具の事よ。
 具体的に言うと、君の場合『線』と『点』が見えなくなる」

「じゃあこれを使えば頭痛が無くなるんですね?」

もしそうなら、とてもありがたい。
さっきから頭痛で頭がパンクしそうだ。

「わからないわ。でもたぶん無くなるんじゃないかな?
 その頭痛が"見てはいけない物"を見ている反動であるなら、能力を封じれば消えるわよ」

もっともこの布に能力を封じる力が無い場合は『線』も頭痛も消えないらしいが。

それでも試してみる価値は充分あるだろう。
これは目に直接捲くタイプのものらしい。
それを聞き、左手から布をはずす。
二メートルはあるだろう布にはシミも汚れもなく、凛とした清潔さがある。
それだけでなにか神秘めいたものを感じる。

一度丸め、眼を圧迫しないようゆっくり捲いていく。





― の はぜ たい らない と
 こ 布  る   く  わたし か  ゃ け  か ね





誰かとの約束。
きっと白い少女とした大切な何か。





捲き終えると視界と共に『線』も頭痛も消えていた。

「すごい。『線』も頭痛もないや」

「へぇ…どこの誰の作品か知らないけど  の魔眼を封じるなんてやるわね」

先生がぶつぶつ呟いたが浮かれていたため、うまく聞き取ることはできなかった。





「さて、問題も解決したしもうそろそろおいとましようかな」

ぼくが落ち着くと先生は立ち上がりトランクに手をかけた。

「あ…」

先生は躊躇いも無く前に足を踏み出していく。
荒野に響き渡る足音は、徐々にぼくから遠ざかる。

このまま行ってしまうのだろうか。
引き止めたい。でも、ぼくにはその権利が無い。





不意に・・・足音が止む。










「ついて来ないの?置いてくわよ?」










ぶっきらぼうな、だからこそこの上なく優しい言葉。





慌てて立ち上がる。
走ろうとして何度も何度も転んだ。
自分でも滑稽な姿だと思うが、焦ってしまい冷静になれない。
先生がため息をついてぼくに近づいてくる。

「ほら。さっさと行くわよ」

先生が転んでいるぼくの手を握り、立たせてくれた。
しゃがんでぼくの服についている砂をはたき、そのまま背中を向ける。
当然ぼくには見えなく、何をやっているのかわからない。

「ほら!さっさと乗る!」

背負ってくれるみたいだ。
背中に乗り、首に手を回す。
先生の髪が顔や手に触れてこそばゆい。

「よいしょ」

先生が立ちあがり、身体が規則正しく上下に揺れる。





全てが嬉しい。
ぼくをこの荒野で見つけてくれたこと。
ぼくに話し掛けてくれたこと。話を聞いてくれたこと。
そして、記憶のこと。

全て先生には関係無く、関わっても無意味な僕にとってとても大切なもの。
それを先生が汲み上げてくれた。





きっと安心しきってしまったんだ。
ぼくは柔らかい背中に揺られ、何時しか眠りについていた。