ギシ、ギシ、ギシ…



ギシ、ギシ、ギチ



バチカンからロンドン。直線距離にして約千五百キロ。
それを彼女は一日で駆け抜けた。
その代償としてトリニティの一体が破損。
稼動こそ出来るものの、既に戦闘人形としての役目を果たせないまでに壊れていた。

歩くたびに関節が軋み、酷い音を立てる。
それがただでさえ目立つこの四人組をさらに目立たせている。
己の持つ数少ない魔術、暗示により"気にならない"としているのにこれでは意味が無い。
暗示とは"無意識"において作用するものであり、"意識"されてしまった場合、その効力を失うからだ。

彼女は今ロンドンに、魔術協会の総本山である"時計塔"の足元にいる。
彼女は目的の場所に無事、しかも短時間で着けたにも関わらず苦い顔をしていた。
ここまで来たは良いが、彼女は協会にどうやって説明しようかなど考えていなかったからである。

正面を切って―と言ってもどこに正面があるのかわからないが―行っても大丈夫な気もするが問答無用で殺されては意味が無い。

「どうしました?」

あれこれと考えていると声をかけられた。
振り返ると、どこにでもいそうな人の良い顔をした老人が立っていた。
念のため魔力を探ってみるが一般人が間違えて持ってしまった程度の魔力しか持っていない。
それならば警戒する必要もないだろう。

「道にでも迷われましたか?」

「いえ…大丈夫です」

一般人を巻き込むな。瞬時に判断し、そう返答する。

「いやいや、そのような遠慮は無用ですぞ。人形師殿」

反射的に身体が動き、飛び退るように対峙した。
右腕を前に突き出し、そこでふとおかしな所に気付いた。
この老人は間違い無く魔術師なのだろうが、何故か敵意を感じないからだ。
魔力だって先とまったく変わらない。
戦う意思が無いと言いたいのだろうか。

「ほっほっほ。話が早くて助かります。老いぼれで立っている事すらきつい身でして」

私が何もする気が無いと判断したのか老人は本当に嬉しそうな笑顔で杖を叩いた。
しかしこの老人は冗談がきつい。
恐らくこの老人が本気になったら私は何の抵抗も出来ずに殺されるだろう。
私の正体を一瞬で看破する程の実力者なのに、この老人からはその片鱗すら感じられない。
対峙して尚、それほどの力を隠し通せる魔術師が私程度を相手に梃子摺るはずがないのだから。
埋葬機関が協会を嫌悪しながらも無闇に手を出さないのも頷ける。

「ついてきなされ。私たちに用があったのだろう?」

それ程の力を持ちながらも彼は私を排除しようとせず、案内してくれると言う。
理由がなんであれ、有り難い事には変わりない。

「感謝します。あと、恩を仇で返す事になりそうですから先に謝っておきます」

本気で言ったにも関わらずその老人は愉快そうに笑い、決して後ろを振り返る事は無かった。





「さて、話を聞こうかの」

ここは彼の部屋なのだろうか。
老人はメイドが紅茶を持ってくると共に口を開いた。

何故魔術協会にメイドがいるのか、とても気になってしまう自分はやはり俗人なのだろう。
だがこの格好ではしょうがないと思う。
ミニスカート、ガーターベルト、ニーソックス、ヘッドドレスと所狭しとばかりに男の欲望を詰め込んだ制服。
肌が少しでも露出するように設計され、ピンポイントで露出を抑えている所は必要以上の萌えを演出している。
制服を征服した境地にある制服。
女性である私ですらドギマギしてしまうような格好をしているメイドを前にして、煩悩を振り払えるような人間はいないだろう。

――この老人の趣味なのか!?

本気で身構えてしまう私に老人は達観した事を言う。

「人の本質なんぞ一目ではわかりませんぞ。人とは見る度に違う側面を見せる。
 それだから人生は面白いというものですな」

師事している先人からの受け売りだが。と軽快に笑う好々爺改めスケベ爺。

「それで協会になんの用ですかな?」

しかもその調子で訊いてくる。
それが私の緊張感を削いでいき、気が一遍に緩んでしまった。

「はぁ…。緊張するのも馬鹿らしくなってしまったな。
 私は埋葬機関三位の連れだ。」

老人には私が事実上の敵であることを聞いても動揺が見られない。
軽く頷かれ、話を進めるように促された。










一通りの説明をした。
アカシャの蛇が現れた事。
それを聞いてもナルバレックが動かない事。その理由。
私では戦う事が出来ない事。

それら全てを話し終えた時、

「いやいや。よくぞ正直に話した」

スケベ爺改め好々爺は笑顔で頷いてくれた。

「だが無償で手を貸すわけにはいかん。
 お主も知っておろう。魔術師は等価交換で動くモノ」

そしてやはりその調子のまま彼が魔術師だと痛感させる事を言ってきた。
せめてこの老人がこの時だけでも魔術師然とした雰囲気を纏ってくれたならこれほどショックは受けなかっただろう。

「人形の知識では駄目ですか?」

考えるまでも無く私にはそれしか渡すものが無い。
同時にこれなら魔術師が食い付きそうな餌でもある。

魔術師であるなら隠す必要もあるが、私はそれとは違う。
ただ単に生まれた時から何かを作ることが上手くて、ただ単に人形が必要になったから作っただけ。
それがたまたま魔術であって、たまたま使いこなせていた。
だから惜しむ必要も、隠す必要も無い。

「ふむ…人形とはこれらかね?」

老人が立ち上がり私の後ろに控えていたトリニティに触れようとする。

「待たれよ。ご老体。
 我に許可無く触れるは敵対の証。
その時より我、汝を殺す刃とならん」

老人の手が触れるか触れないかという時、今まで無言を通していた人形が喋りだした。
これにはさすがに驚いたのか老人は感嘆の声を洩らす。

「喋るのか…面白いのぉ」

何を考えているのか、老人は顎に手を当てた。
メイドが冷めた紅茶を入れかえる音がやけに響く。

「埋葬機関を辞め、わしの弟子になるならば考えても良いぞ」

即答できない条件だった。
埋葬機関を辞める事、それはある例外を除き、認められていない。
その特例とは異端審問時の殉職、つまり死ぬ事である。
当然逃げる事も出来るだろうが、私ではあのピーターパンを語る道化の追跡を逃れられるわけが無い。
つまり私に死ぬ覚悟があるのなら、自分達の誰かを死地に送っても良い。と言っているのだ。

「それで構いません」

悩まなければ出ないはずの応えを、気付けば私は即答していた。
無駄に時間を使えば使うほど生存者は減っていくのだ。
私はそれを救う道を選んだ。ならば己の身を顧ない時があっても良いんではないだろうか。
そんな下らない事を無意識に考えてしまったのかもしれない。

「ほっほっほ。交渉は成立じゃな。お主は休みなさい。後は私が手配しよう」

終始浮かべていた微笑をさらに深め、老人は席を立つ。

「私も行きます。人任せは気持が悪い」

私も立ち上がるが、目が霞む。
やはり人形を使いすぎた。
今までどんなに長くても連続で半日が最長稼動だった。
一日中それも三体をフル稼働したのは今日が初めてだ。
その疲れが今になってやってきたのか、足ががくがくと震え出した。

「わかっておる。出発まで休みなさい。その時になったら起こしてあげるから」

それを聞き終わる前に私は眠りに落ちた。
崩れ落ちても痛くなかったのはメイドが受け止めてくれたからだろう。
薄い生地を通して感じる、柔らく暖かい感触がとても心地良い。

――スケベ爺。生地にまで拘っていたのか…

そんな雑念を抱きながら眠りについた。










「あー!!あの時の人形!!」

そんなやかましい叫びで起こされた。

「先生、落ち着いてください。
 魔術師たる者、如何なる時も冷静で在れ。それが鉄則なんじゃないんですか?」

違う誰かが幼い声にしては落ち着いた事を言う。
それが逆に可愛い。

「でもねぇ志貴。三日前に壊した物がこうして目の前にあって驚かないのは人としてどうかと思うわよ」

その言葉に跳ね起きた。

「あっ。起きましたか」

目の前に子供がいる。
間違えるはずも無く、トリニティの一人を両断した七夜志貴である。
この小さい身体のどこに人を、いや、合成素材で作られた人よりも遥かに強度の高い人形を断ち切る力が秘められているのか。
興味は尽きないが、今は関係無い。

そして…

「なにアンタ?もしかしてこの人形のマスター?」

その後ろに立っている女性、ミス・ブルー。
これが破壊の魔女。
直接対峙するとその威圧感が嫌でも伝わってくる。

それにしても人が悪い爺さんだ。
まさかこの二人を当ててくるとは思わなかった。
先の話で、七夜志貴を誘う為の罠だとわかっているはずなのに、その上で寄越すとは何を考えているのだろうか。
いったいどんな真意があるのか教えて欲しい。

「そうだ。しかし今は力を貸して欲しい」

だが、あの老人が寄越してきたのだから正当な理由があるのだろう。
そしてこの二人ならば、死都に進入し、ロアを殺せるだけの実力がある。
七夜志貴に不安が残るものの、その師であるミス・ブルーは余りある程強い。
先日の出来事の所為で関係は最悪だが、チームとしては上等だ。

「事情は聞いたわ。でも、物好きね貴方。何の為に埋葬機関を敵に回すの?」

「人を守る為。埋葬機関に入ったのもその為だった」

ミス・ブルーが苦笑いを浮かべた。
七夜志貴が、失礼ですよ。と窘めているがあまり効果は無いようだ。

「そりゃ貴方、絶望もするわよ。人を救いたい奴がよりにもよって埋葬機関に入るなんて」

心底可笑しいのだろう。
我慢が出来ないといった風に、腹を抱えながら笑い出した。
戦闘者として極力隠すべき呼吸をこれだけ盛大に見せている。
ミス・ブルーがまだ敵か味方かわからない者を前にして、その程度の事を失念するはずがない。
つまりそれは彼女が傍らに立っている少年をそれだけ頼りにしているという事を意味する。

やはりこの少年は興味深い。

「それで、協力してくれるのか?」

「いいわ。協力してあげる。
 でもあくまで私は補佐。志貴が主力として参加するからね」

それは突拍子も無い発言だった。
現に七夜志貴も驚きに硬直している。

「先生。相手は死徒二十七祖の一人ですよね? 僕じゃ相手になりませんよ」

それに加えて埋葬機関とも戦わなければならない。と眉を顰めて七夜志貴が呟いた。
私もその通りだと思う。
死徒二十七祖はナルバレックでさえ慎重に行動し、策を練った後に、迎え撃つ形を取らなければ優勢をとれない相手である。
それを十代の子供が、迎え撃たれる形でまともに戦えるはずがない。

「なんとかなるもんよ。雑魚は私たちに任せなさい。
 志貴は単独で中心まで突っ込んで、祖だけ叩けば良いから。
 もちろん『眼』は使って良いわよ」

弟子に嬉々として死刑判決を下す師。
しかしどういう訳か、師に死ねと言われたにも拘らず、七夜志貴はそれ以上反論しなかった。
眼を使って良いと言われるだけでこの余裕。
だとすると『眼』とはやはり魔眼を指していると見て良いのだろう。
だが、それほどに強力な魔眼なのだろうか。例えばキュベレイのように。
あれに近いモノを持っているとしたらこの自信も頷ける。

しかし残念なのは、私が魔術に精通していないせいで、この魔眼殺しがどれほどの概念武装なのかを測れないことだ。
封印の規模がわかれば、どのレベルの魔眼かも予想できるだけに、自分の無能さが情けない。

「それじゃ行きましょうか。今回は公共の交通機関を使うわよ。敵に自分の魔術見せたくないし」

やはり完全に信用を得る事は出来ないみたいだ。
でも協力してくれるだけこの二人は人が良いのだと思う。
ならばそれで十分。それ以上を望んだらばちが当たる。

「お願いします」

目を丸くした後、青の魔法使いは不機嫌そうにそっぽを向きながら歩き出した。

「気にしないでくださいね。不器用なだけで優しい人ですから」

七夜志貴が彼女に聞こえないように囁く。

それに笑ってしまった。
この二人は本当に信頼しあっている師弟だ。
それがこの短期間にわかるほどの熱愛ぶりだから嫌になる。

笑いながら歩いているとミス・ブルーが不機嫌そうに振り向いてきた。

「そこ喋るな。私の弟子に何かしたら許さないからね」

その言葉で何かを思い出したのか、ミス・ブルーが首を傾げた。

「そういえば、何でナルバレックは志貴の事を欲しがってるのよ?」

歩きながら話していたミス・ブルーが立ち止まり、完全にこちらを向いた。

「いつの話だ? ナルバレックがどのようにして七夜志貴の情報を集めたかなど私は知らんぞ」

「その後よ。この人形を壊しただけなのに、何だか物凄く執着してるじゃない」

たかだかこの程度の人形をねぇと、こちらの癇に触るようなことを言っているが、この際気にしないでおこう。

「それは簡単だ。七夜志貴が魔眼を保有しているとわかったからだろうな」

やれやれと首をふると、突然首を掴まれた。
そのまま身体を持ち上げられた時、私の首を掴んでいるのはミス・ブルーなのだと気付けた。

「そう…アンタが原因ね。
 志貴。やっぱり私の元から離れず、共に行動しましょう。
 当然『眼』の使用も禁止。本当に危ないと感じるまでは封を解かないで」

苦しい。
魔術の補助無しでここまでの力を出すとは信じられない。

しかし、何より悪寒が止まらない。
殺気そのものとなってぶつかってくる魔力。
見つめられているだけで息が詰まる視線。
指を動かすだけでばらばらにされてしまいそうな恐怖。
全てが私の身体を這いずり回り、死を予感させる。

これが魔法使いを敵にするという事。
これが青の魔法使いが畏怖される理由。

ミス・ブルーは私を吊り上げながらも、七夜志貴には何も無いかのように指示をしている。

――これでもまだ本気で無いのか…

余所見をする余裕があって、この重圧。
私程度では相手にならないことを再認識させられてしまう。

「先生。やり過ぎですよ」

この重圧の中、七夜志貴が咎めるようにミス・ブルーに話し掛けている。
七夜志貴がこの異常な空気を感じ取れないわけがない。
つまり、感じとって尚、平然とここにいられるのだ。

師弟そろって、何という化け物なのだろう。
その異常ぶりを当人たちが感じていないのだから笑えるが、恐ろしい。

「まぁいいわ。貴方が責任を持ってナルバレックを殺しなさい。
 最悪でも足止めはしなさいね。志貴の眼を見られたら、それこそ終わりだから」

手を離され、軽く落ちる。
それと同時にミス・ブルーは魔力を収めてくれた。

「簡単に言ってくれるね。私とナルバレックがまともに戦えると思うのか?」

開放された私は咳き込みながら軽く悪態をついた。
真新しい空気が肺に痛い。
首を絞められ、ただでさえ苦しい中、あれだけの重圧に当てられたのだ。
息継ぎを忘れてしまっていたとしても、それは仕方が無い事だっただろう。

「勘違いしないで。私は貴方を許していない。
 ただ、足止めをしたら殺さないであげると言ってるだけ」

失言だった。
彼女はまた私に敵意を向けてきた。
一度受けたモノには抗体が出来る、なんて言葉は嘘だ。
だって、もしそうなら身体がこんなに震えるはずがない。
開放されたはずの身体がピクリとも動かなくなり、止まったはずの汗が頬を流れ落ちる。

「わかってくれたみたいで嬉しいわ。
 それに何も対等に戦えなんて言ってない。奇襲でも何でもして、治療が必要な傷を負わせればいいだけよ。」

「先生! さっきから酷いですよ。――大丈夫ですか?」

身体を抱くように震えていた私を気遣ってか、七夜志貴が割って入る。
幾ばくか救われたが、それでも震えは止まらない。
やっとのことで頷くと、七夜志貴は安堵の笑みを浮かべた。

「僕が一人で突っ込みます。
 先生はアリエッタさんと一緒に埋葬機関の足止め、出来るようなら死者の相手もお願いします」

未だ震え続けている私を背にし、そう提案している。
それを受けたミス・ブルーは驚いてか、しばらく沈黙し、溜息をついた。

「はー、わかったわよ。当人がそう言ってるんだし、気にしないであげるわ。
 じゃあ志貴が突っ込んで私と三位で足止めってことで良いのね?」

七夜志貴が頷く。
その横顔には死地に一人で出向く恐れが無い。
ふと、七夜志貴がこっちを向いた。
純白の布で覆われ、目を見る事は出来ないが、それでも優しく、穏やかに微笑んでいる事がわかる。
信じられない事に、ミス・ブルーがいれば私は死なない。それを喜んでいるのだ。

私はなんという卑怯者なのだろう。
震えていたのは、なにも彼女に睨まれていたからだけじゃない。
私はその後に続く絶対の死に怯えていた。
それをこんな子供に押し付け、私は生き残る手段を得た。

ならば今からでも一人で戦うといえるのか。
それは嫌だ。
死ぬ覚悟は出来ているつもりだが、私は自ら死に赴ける程強くない。
だから良心を振り翳し、心を痛めるのを止めなければならない。
それは結局偽善だから。
私が自分を正当化する為の逃げ道。

本当は戦いたかったけど、力が無くて出来ませんでした。

それを戯言と呼ばずになんと呼ぶ。
だから私はこの事を考えてはいけない。
考えれば考えるほど自分を正当化してしまうから。

「それじゃあ行きましょう。三人で力を合わせて戦いましょうね!」

七夜志貴が澱んだ空気を変えようと気合を入れた。
ミス・ブルーが生意気な小僧め!と笑いながら七夜志貴の頭をくしゃくしゃにする。
それは仲間を気遣うとても自然な暖かさ。

今の私では熱くて火傷してしまいそうな暖かさ。










「それじゃあ確認するわ」

今、僕たちは死都の入り口にいる。

「基本的に三人…五人で行動するわ。埋葬機関が現れるまでこの形を崩さない。
 埋葬機関が現れたら私とアリエッタと人形二体が残って足止め。志貴はそれと同時に『眼』を使って良いわ。
 当然ナルバレックの視界から消えた後だけど」

先生が見回す。何か質問があるか?ということだろう。

「大丈夫です。行きましょう」

腰の後ろに差してある名無の柄を握りながら答える。
他にも邪魔にならない程度の物は全て持ってきた。
準備は万全。迷いも無し。
戦闘には最高のコンディションと言える。

「よし。なら行くわよ」

それを合図に走り始めた。
トリニティ二体が左右、死徒の気配を探れる先生が前、戦闘経験の無いアリエッタさんが真中、そして僕が一番後ろ、殿というやつだ。
その陣形で周囲を警戒しながら進んでいく。

レンガ造りの家が舗装された道に整然と並ぶ綺麗な町並み。
こんな時では無く、ただの観光として訪れていたのなら楽しめただろう質素な街。
しかし不思議だ。
先に教えてもらった死都の知識では、空気さえも死徒に汚染され、澱むと言っていたのに、ここの空気はきれい過ぎる。





しばらく走っても一向に変化が無い。
死徒と言わず、死者の一体すら出遭う事無くここまで来れてしまった。
それどころか何の気配も探る事が出来ないのだ。

「おかしいわね。このままじゃ中心に着いちゃうわよ」

流石に先生も困惑を隠せなくなったのか、声に迷いが生じている。
罠を覚悟していただけに、何もされない方が不気味に思えてしまうのだ。

「それならそれで構わないですよ。まさか死徒と協力して襲ってくる訳じゃないんですし」

仮にも吸血鬼を狩ると公言している教会が死徒と組んで襲ってくるはずがない。

「それもそうね。でも今代のナルバレックは変態らしいから、それも考慮しておいて」

先生がはっきりとした物言いを避けている。
それほどまでにこの状況は不可解なのか。
最悪の事態として、それも有り得ると考えているのだろう。
でも、もし―――

「止まれ」

思考の途中で声をかけられた。
その為、皆が一斉に止まる中、少し遅れてしまった。

「志貴。気をつけなさい」

それに目聡く気付く先生。
後で何を言われるんだろうか。
今から憂鬱になってしまう。

「それで、どうしたの?」

先生が辺りを見渡しながらアリエッタさんに声をかける。

「おかしい。明らかに教会の参入があったはずなのに、誰とも遭遇しないとは」



教会の参入、アリエッタがそう感じる根拠は何なのか。

それは今まで通ってきた道を漂う空気。
教会は死徒、吸血鬼を"消滅"させる時、洗礼という手段を使う。
その対象は吸血鬼に絞られるが周りの外気にも少なからず影響を与えてしまう。
その為、代行者が洗礼を大量に行った後は、死都となり澱んだはずの空気が澄んでいるのである。
そしてこの街の空気は死都であるはずなのに、澄んでいた。
それをトリニティの監視役として幾度と無く死都に出向いていたアリエッタは気付いたのだ。

その事実からの推測。
つまり洗礼が行われた土地にいるはずの代行者が一人も居ない事からの推測。
通常は"消滅"が確認された後も、取り逃がしによる二次災害を防ぐ為、後処理として数名の代行者が残る。
教会がそれをせずに立ち去ることは自分の知る限り有り得ない。
それならばこの地にも必ず代行者がいるはずだ。
それをこの布陣全員が見逃すとは思えない。

ならば、この町にはいなくてはいけない代行者がいないという事になる。
それはつまり、





「私たちを中心に誘っている」

死徒と自分達を接触させようとしていると考えるのが自然。

「死徒と戦っている隙を突こうって言うの?
 ま、戦いの常套手段だから文句はないけどね」

先生の言う通り、相手の隙を突くのは戦いの基本だ。
彼らの狙いが自分の捕獲に有り、それを遂行する為に先生を倒さなくてはならないのだから奇襲を仕掛けるのは当然。
先生にしても予め対策を考えていたのか、揺るぎが微塵も見られない。

「ねぇ。埋葬機関に大魔術を使えるようなレベルの魔術師なんているの?」

今の自分達にとって、一番警戒しなければいけない事は魔術による局地破壊。
対人攻撃ならば何とでもなるが、対軍攻撃では防ぎようが無い。

「わからない。私が会ったことのある者に魔術師はいなかったはずだ」

「ちなみに、それは何人?」

「三人だ。一位と二位、そして五位。
 五位はそのレベルの破壊力を持っているとほざいていたが、魔術の類ではなかったはずだ」

アリエッタさんがそう言うと、先生は珍しいものを見つけたように感嘆の声をあげた。

「五位って言ったらメレム・ソロモンのことでしょ?
 あれと喋った事があるんだ。それもその話し方からして本体・・と」

「ああ。私の何がそうさせたのか、えらく気に入られてね。
 最初に『本当の自分だ』とあの姿を見せられた時は驚いたよ」

薄い唇を皮肉気に吊り上げて笑い、頭を振った。

「いや、話が逸れたな。
 とにかく私には彼らが何をしようとしているのか検討もつかない」

それでも何か引っかかるのか、アリエッタさんは頻りに首を傾げてブツブツと呟いている。

「今の陣形だと魔術じゃなくても、例えば爆弾でも僕たちに有効だと思いますよ」

「馬鹿ね。向こうは志貴が死んじゃったら元も子も無いんだから殺傷兵器なんて使わないわよ」

一区切りついた所で、先から考えていた事を言ってみたが、やはり子供が思い付く事は幼稚なのだろう。
あっという間に一蹴されてしまった。

「思い出した。ナルバレックが槍を持っていたんだ」

その時、アリエッタさんがポツリと呟いた。

「私が教会から逃げる時、彼女は槍を携えていた。
 あれなら大魔術に匹敵する破壊力を持っているはずだ」

「まさか、ロンギヌスの槍?」

まるで、それが忌むべき対象であるかのように先生が声を震わせ、空を見上げた。
おそらく周りを確認しただけなのだろうが、僕にはその姿が天を仰いでいるように思えた。

「それって何ですか?」

先生の突拍子も無い態度には慣れていたが、その貌は今までに見たことすらない表情だった。
あまりにも恐ろしく、背筋が否応無く粟立つ。
何事にも、死徒二十七祖を殲滅しようという時にすら、微塵も震えなかった先生が、それ・・
に震えたのだ。
それが不安にならないはずがない。

「彼のイエス・キリストを刺した槍の名称だ。
 キリストの血を享けたというぐらいなのだから、概念武装としては最上級だろうな。
 ナルバレックの持つソレがレプリカなのかは不明だが」

「概念武装?」

「それはだな…説明は後でミス・ブルーにでも訊け。
 とりあえず『とても強力な武装』だと思っていればいい」

良くわからないが、強力な槍だと考えておけばよいのだろうか。
しかし、それが何であるかを知らなければ警戒のしようがない。

「なに馬鹿やってんの。
 志貴。知りたいなら後で教えてあげるから今は忘れなさい。
 何が一番大切かわからないようなクズに育てた覚えは無いわよ」

先生の一喝が、自分の考えのずれを教えてくれた。
そう。わからなければ、全ての可能性を警戒すれば良いだけの事。
先入観を持ってしまったら、気付ける物も気付けなくなる。

「すみません」

それだけ呟き辺りを再度警戒を開始する。
そして気付いた。
先から無意識に気のせいだと見逃していたが、誰かがこちらを知覚出来ない距離から意識している。
視線を感じる方を見渡してみるが、姿は見えない。
しかし、いるのだ。

「このまま前進するわ。自分の警戒網を最大まで広げておくのよ」










「気付かれましたね」

男が軽薄に笑う。
まるでそうなるかを予め知っていたかのように。

「投げる機会は二度ほどあったんだがな。
 彼がいつ気付いてくれるか待ってしまった」

それに応える声も軽い。
最大の難関とも言えるミス・ブルーを無条件に叩ける機会を逸してしまったのにだ。

「機会はもう無いでしょう。このまま帰りますか?」

男の質問に意味は無い。
彼は彼女がどうするのかを知りながらも訊いている。
そして、それは確認ですらない。
確認とは互いにそれを必要とする時にするもの。
しかし彼はこの光景をただ俯瞰するのみ。
故に無意味。しかし彼は嬉々として問う。

「いいや、帰らんな。ますます欲しくなったよ」

彼の嗜好を理解するナルバレックだからこそ答える、もう一人、道化を除けば誰もが耳を貸さない言葉。
彼の発する言は全て意味を持たないからだ。

しかし意味を成さない訳ではない。
それを彼女は理解するからこそ彼を連れている。

「どうするつもりですか?」

彼は問いを与える。
何時、何処で、何を、どのように、そして何故。
それをどう取るかは与えられた者により違う。
確認と取るか、質問と取るか、導きと取るか、はたまた言葉遊びと取るか。
たいていの者は前者二つと、ナルバレックは導きと、道化は遊びと取るだけの違い。

その違いが彼の価値を決める。

「決まっている。蛇との戦闘の隙をつくぞ」

その言葉を聞いて初めて男の顔が歪む。

「私には理解できませんな」

私には蛇を駆逐しない理由がわからない。と問う。
男が発した意味のある言葉はナルバレックを笑わせた。

「それは当然だろう。
 凡人が天才の考えを理解できない事と同様、天才が凡人の考えを理解できない事もまた道理だ」

くぐもった声で笑う。
男は律儀にも、それに反応して眉を顰める。

「単に他人の考えはわからない。と言えば良い事でしょう」

どうやら天才と呼ばれた事が気にくわないようだ。
この男には珍しく、意味を持たず、成さない言葉を吐いた。

「そうか? 私は違うと思うね。"同じ意味"の言葉は存在しない。というのが私の考えだ」

それを聞き、男は何かに納得したように頷く。

「わかりました」

それだけ呟き、男は目的のモノがある場所とは反対向きに歩き出した。
それを後ろから見送るナルバレックの顔に浮かぶのは、納得の行かない不満気な表情。

「まったく…理解できない事を納得しても無意味だろうに」

それで気が済んだのか、振り返ったナルバレックの表情には余計なモノが無かった。
ただ己の目的を遂行する意志だけが、その眼を輝かせていた。










遠距離からの攻撃を警戒していた為、この惨事の元凶に辿り着くまで思っていたより時間がかかった。
結局、ここに着くまで襲われる事は無く、やはりこれから起こるであろう戦闘中に襲われると見て間違い無いだろう。
先に感じた視線はいつの間にか消えていて、それが自分の気のせいだったのではと思えてしまうほどだ。
先生は気怠そうに溜息をつき、周囲を確認し出した。

そこは広場と表現するのが一番しっくり来る、開けた場所だった。
今まで進んでいた石畳の道路が途切れ、急に視界が開ける。
元からなのか、木が一本も無く、人工物で作られた広場。
その広場の中央には、どこか見当違いな方向を指差す男の像が立っている。
そして眼前には階段があり、その上にこの街のシンボルだろう教会が聳え立っていた。

ここに来て、問題は二つ。
教会が奇襲を仕掛けてくる事。
ここに多数で来てしまった為、僕が『眼』を使えない事。

そんな事はお構いなしと言わんばかりに、月を背負いソレはそこにいた。
ソレは女と少女の間にいるであろう裸体を青い外套で纏い、悠然と立っている。
しかし、その雰囲気には外見と異なり、艶やかさなど微塵も無い。
醜悪な瘴気を垂れ流し、無粋な侵入者を呪を孕んだその眼で不機嫌そうに見据えているだけだ。


何の因果があってか、死都の王は教会の頂に佇んでいた。
彼女、いや。彼の名はミハイル・ロア・バルダムヨォン。
かつて教会の神官だった彼は己が仕える神の御許に吸血種と成りて尚、身を寄せている。

彼は転生無限者。
その名が示す通り、転生を幾度と無く繰り返し、ここに至る。
本来男性のはずの彼が少女の肉体を以ってそこにいるのは、今回選んだ肉体が偶々女だったというだけである。
この肉体は、彼の生前と同等の魔術回路を備えた逸材。
数多の失敗を繰り返し、十六回目の転生にてようやく必要なのは権力ではなく能力なのだと気付き、コレを手に入れた。
念願の逸材を手に入れ、その快感を味わっている時に、煩い羽虫が現れたのだから、不快になって当然だろう。

「語らう事など無い。早々に死ね」

始まりは突然。
まだ幼さが残る綺麗なソプラノを以って訪問者に死を宣告した。
言葉と共にソレの姿が消える。
実際は高速で移動しただけなのだろうが、視認できなければそれは消えているのと同じ事。

「散って!」

皆が皆、何の前触れも無しにいきなり戦闘になるとは予想していなかったが、それでも反応は速かった。
志貴が前に、青子がアリエッタを抱え、後ろに。
そして、トリニティが左右に散る。
志貴は散ると同時に名無を抜刀し、目前に構えた。
元々なのか街灯の光は弱く、残像としてさえもソレの姿を捉える事ができない。
しかし断続的に続く、ロアが地を蹴る際に石が削れる音がロアの居場所を僅かながら限定させる。

「先生。サポートお願いします!」

このままでは分が悪い。
そう判断した志貴が音の響いた方へ向けて駆け出す。

黙って不意打ちを受けるのも、騒いで不意打ちを受けるのも大した違いは無い。
ならば自らが動き、場を掻き回した方が勝機はあるだろう。

「開放、収束」

飛び出しながら『強化』をかける。
それは一瞬で組み立てられた魔術。
一工程で行う魔術に何を言うのかと思う者もいるかもしれない。
しかし志貴の強化は二工程から成る魔術なのだ。
この理由は志貴自身にも、そして青子にすらわからない。
しかし、志貴も青子もそれならばと鍛錬を重ね、一工程と同等の速度で魔術を組み立てられるようにした。

その結果がこれである。
余剰分の効果を得た志貴は、ロア同様影になって町を疾走している。
志貴自身が実戦向きな思考をしているからか、彼の扱う魔術もまた、実戦向きの能力だったのだ。

相手の立てる音を頼りに追撃を開始する。
場を荒らす為とは言え、闇雲に走り、無駄に攻撃を受けるような事はできない。
ただでさえ相手に分があるだろう実力差なのに、状況はこちらが不利。
いつでも反応できるよう慎重に、それでいてロアに追いつけるよう俊敏に駈け抜ける。

ジャリ

志貴は即座に音の聞こえた方へ向かう。
強化された足が、爆ぜる様に身体を進ませる。

ジャリ

別の方向から音が鳴った。
跡を追っているはずなのに、真横からの音。
それは自分と相手の力が明らかに違う事を意味している。
しかし志貴は止まらず、そして躊躇う事無く、音の聞こえた方に爆ぜた。

そして、群青の外套をはためかせながら壁を駆け上がるロアを見つけた。

距離にして五メートル。
視界が狭いこの暗闇では、相手を視認できるぎりぎりの間。

「見つけた!!」

短く叫び、壁を駆け上がる。
叫んだ理由は二つ。
気合を入れる為。
そして仲間にロアの居場所を特定させる為。

登り切るとロアの背中が前方に見えた。
その速度は今までの比ではなく、本気で駆けても見失いそうだ。

「志貴!」

しかし突然、ロアが志貴に向かって突っ込んできた。
志貴は瞬時に針状のナイフを左手に出し、投擲する。
時間を巻き戻すかのように跳ね返り、向かってきたそれにさえ、強化された志貴の神経は対応できたのだ。
しかし、それをロアは空中で身体をずらすという離れ業で危なげも無く回避した。
そしてそのまま流れるように薙ぎ払いの一撃を繰り出してきた。

志貴は敢えてその攻撃を受けた。
当然逆に跳び、刀で衝撃を緩和してだが、それでも刀を支える手の関節が軋み、突然の衝撃に息が止まる。

だが、意味も無く受けた訳ではない。
志貴が吹き飛ばされたその直後、青子の放った魔弾が志貴を掠めてロアに直撃した。

先の呼び掛けは危険を知らせる物ではなく、魔術を放つという合図だったのだ。
青子は以前、志貴が報せるようにと文句を言っていた事をちゃんと覚えていて、絶妙のタイミングで報せた。

だからこそ出来たコンビネーション。
直前まで志貴の身体で青子と魔弾を隠し、確実に当てる。という単純な作業。
しかし少しも淀みなくこなす事ができればこれほど強いモノはない。
いくら死徒二十七祖と言えど、青子の魔弾を喰らって無傷のはずがないからだ。

舞い上がっていた土埃が収まる。
そこにはロアがふら付きながらも立っていた。
顔は片側が潰れ、左腕は薄皮一枚で繋がっている。
人間なら魔術師でも即死しているはずの重症。
それを受けて、立ち上がることができる身体構造の差。
死徒と人間には対峙しただけで、それだけのハンデが既にある。

だから、その隙を見逃すはずがなかった。

トリニティが一斉に距離を詰める。
あの奇怪なステップを踏み、遠目に見ている志貴でさえどうやって近づいているのかわからない。
しかし迅速且つ正確に距離を縮めているのがわかる。
ロアは不可解な動きで近づいて来る二人をこれ以上近づかせないようにする為か、腕を振り上げ、牽制をしている。
それでもトリニティは周囲を回る事を止めず、終にロアが痺れを切らした。

「死ね!!」

ロアが電光のような一撃でトリニティの一人を串刺しにする。
トリニティを貫通した手には、まだ脈打っている心臓が握られていた。
串刺しにすると同時に、心臓を抉り出したのだ。

――!!!

それで絶命したと思ったのが間違いだっただろう。
人であればショックで即死するだろう重傷だが、人形であるトリニティには死という概念が無い。
敢えて言うなれば、五体をばらばらにし、物理的に動けなくなった時のみが戦闘人形にとっての死なのだろう。
トリニティが跳ねる様に顔を起こし、手足をロアに絡み付かせた。
それと同時に残りのトリニティが右手で左手を外した。
左手は仕込み刀になっていたようで、鋭く研がれた刃が出ている。

「人形か!!」

ロアがここに来て事態を把握するが、もう遅い。
凶刃が仲間ごしにロアを串刺し、捻りながら抜かれた。

「ぐがぁあぁ」

月光が微かに届く暗闇に、鮮血が舞う。
堪らず倒れたロアにトリニティがのしかかり、何度も何度も凶刃を突き刺す。
その度にロアの悲鳴と肉が潰れる音が響く。

勝ったと思ったその時、ロアから感じる魔力が膨れ上がり、爆発した。
一人は上手く避けたが、覆い被さっていた方は反応する間もなく、身体が消え去った。

「ハァ…ハァ…もう殺す!」

ロアが血にまみれ、無事な個所が一つもない無残な身体を仰け反らせながら叫ぶ。
自分の中に魔力を取り込めるだけ取り込み、何の加工も無しに放出したらしい。
その無理な魔力行使の代償としてか、身体を隠す外套が消し飛び、裸体を晒している。
その身体は血に濡れ、所々に穴が空いているにも関わらず、美を損なっていなかった。
冷静さなど疾うに消え失せたのか、憤怒の表情を浮かべ突進してきた。

しかし逆上した者の攻撃など容易く避けられる。
身体を掴もうとして伸ばされた手を、志貴は掻い潜り、脇腹を一閃した。

「ぐぎゃあぁあぁ」

石畳に盛大な血飛沫が舞うが、ロアはまだ倒れていない。
脇を右側から臍に至るまで切断されたのに、だ。
しかし、本来なら胴を両断する斬撃をこの至近距離で半分に抑えたというのだから恐ろしいものがある。

この重傷で尚、この動き。
志貴がもっとも信頼する技の一つである閃鞘・七夜が完全に決まったのに倒れもしない。
しかもロアは人間なら即死してもおかしくない傷を既に三度も喰らっている。

「志貴。大きいの行くわよ!」

志貴は何も考えずに大きく跳び引いた。
瞬間、とてつもない破壊音と爆風が志貴を襲い、吹き飛ばされてしまった。
受身を取り、すぐさま起きあがる。

――何故?

何故ロアの魔力が消えていない?
土埃が視界を埋め尽くしていて、確認をできないのが不安を掻き立てる。
しかし、どうやってか知らないがロアは確実に生きているようだ。

「助かった。純粋な魔力勝負ならば、私も負けていないようだ」

土埃の中から現れたロアには傷一つ無い。
これが復元呪詛。なんて出鱈目な能力なのだろう。
あの傷をあの短時間で完全に修復してしまった。
それも先生の魔弾を防ぐ片手間に。

「さて、子供。お前は邪魔だ」

一度大きくやられたからか、ロアが完全に冷静さを取り戻してしまった。
先と同様、消えるように間合いを詰め、その速度を力に上乗せするように蹴りを繰り出してきた。
咄嗟に後ろに跳んで避けるが、その蹴りすらも囮だったのか足がピタリと止まる。
さらに踏み込んできて、首を掴まれた。
万力のような力で締め上げられ、強化した骨が耐え切れずミシミシ音を立てる。

「消えろ」

後ろから奇襲しようとしたトリニティがロアに引き裂かれた。
左手を一閃しただけなのに、トリニティはばらばらに崩れてしまった。
青子は志貴が敵に近すぎて、援護のしようがない。
そしてトリニティは先ので最後。

「先の奇襲で私を殺しきれなかった事を悔やめ」

左手が上げられ、





ロアが身体ごと消え去った。





首を絞められ、落ちかけていた志貴は着地が精一杯で、ふら付いて倒れてしまった。
混乱して立ち上がれない志貴の首にロアの右腕が張り付いている。
それに気付いた志貴が慌てて腕をはがし、投げ捨てた時、目の端に青いドレスが写った。

――?

地面に座ったまま、夜空を見上げるように上を向く。

「え?」

それは場違いなドレスを着込み、悠然と立っていた。
そして赤い、何よりも濃く、澄んだ朱い眼で志貴を見下ろしている。

ドクン

目が合った瞬間、何故かわかってしまった。
これがロアを一撃の元消し去ったモノ。

「はは」

それにしてもナンデこんなに喉が乾くんだろうか?
心臓だってこんなにドクドク煩くて、まるで…

――コロセって言ってるみたいだ。

ドクン

可笑しいな。何でこんなに殺したいって思っちゃうんだ。
これじゃあまるで殺人鬼じゃないか。
おかしいよ。初対面の人を――人?

「っはは」

なら答えは簡単じゃないか。
僕は七夜…魔を狩る一族。

「っははははははははははははははははははははは」

ソレに向かって踏み込んだ。