◇◆◇◆

学校から帰る間、三人はひたすら無言だった。
誰も六花の失態を責めず、誰も勝利に喜ばない。
言葉を発せば何かが終わる。三人はそれを悟っていた。
しかし、何も言わなければ全てが終わる事も、三人は悟っていた。

「ごめんなさい」

六花は家に着くなり、倒れ込むように膝をついた。
凛たちを前にしていた時のような気丈さはなく、捨てられた迷い犬のような臆病さを孕んでいた。
突然の懺悔に志貴とライダーは驚き、慌てて六花を抱き起こした。
しかし、六花は立つ気力すらないのか、俯いたまま嗚咽を洩らす。

「覚悟してたつもりだった。
 志貴ちゃんが誰かを殺しても、それが貴方のためなら私も大丈夫だって」

六花が何を口にしているのか、志貴にはすぐに理解できた。
本当なら怒り狂い、六花を八つ裂きにしていてもおかしくない懺悔。
しかし、志貴の心は不思議なほど落ち着いていた。

「でも、やっぱり誰も殺して欲しくない。
 志貴ちゃんが遠坂さんたちを睨んだとき、気付いた。あぁ駄目だなって」

そう言って、六花は泪で濡れた口元を無理やり歪ませ、自嘲した。
六花は志貴がどれほどの覚悟を以てこの戦争に参加しているかを理解していた。
だから志貴が誰かを殺すことになったとしても、自分は変わらず志貴の傍にいようと決めていた。
その時はわかっていた。わかったつもりだった。
しかし、どれだけの覚悟を積もうと、実感のないそれは紙よりも薄く、空気よりも不確か。
いざその時が来たとき、六花の覚悟は脆く崩れた。

それは志貴が人を殺したら傍にいられないという利己的な感情ではなかった。
今の志貴が人を殺せば、もう人には戻れないと、当たり前のように解ってしまったからだ。
それだけが、六花を志貴の前に踏み止まらせる。
志貴の覚悟を裏切った上で、それでも志貴には人でいて欲しいという献身が六花に傍を離れさせない。

「そっか」

六花の肩に志貴の手が触れた。
優しく、壊れた硝子細工を繋ぎ合わせるように、ゆっくりと丁寧に、志貴は背中に腕を回す。

「六花がそう望むなら、俺も頑張るよ」

志貴が六花の危機を知ったとき、奔流のような感情に理性が消し飛んだ。
だから志貴はその時自分が何を考え、どうして泣いていたのか知らない。
しかし、潰れそうな不安を覚えている。
巫淨六花を失いたくないと思ったことを覚えている。
それだけは真実。

「六花が望むなら、俺は誰も殺さない」

「どうして?」

六花が顔を上げた。
泣き崩れた目は腫れ上がり、白い雪は痛ましく見える。
その目を真正面から見つめ、志貴はどうしてだろうね、と微笑んだ。

巫淨六花を失いたくないから。
きっとそれも答えの一つ。
志貴が凛と士郎を殺せなかったのは、殺せば失うと悟っていたからだ。
しかし、それは刃を引いた理由。
志貴が刃を止めた理由はそれ以上に大きな苦悩によってだった。
六花はそれを理解した上で・・・・・・喜びに泪する。

「ありがとう」

「いいよ。それにマスターは六花なんだ。六花の意向には従うさ」

志貴は照れ隠しに鼻面をかいて、立ち上がった。
そして六花の腕を取り、引き起こそうとして痛い視線に気が付いた。

「なんですか? ライダーさん」

「いえ。仲が良い事は微笑ましい。どうぞ存分に続けてください」

ライダーは怒るでもなく、笑うでもなく、淡々と呟き、目を逸らさない。
戦闘中は手に取るようにわかったライダーの心も、常時になると途端にわからなくなる。
とりあえず六花の体を起こし、間を保つようにうーんと背伸びをした。

「これからどうするの?」

しかし、そんな志貴の気遣いをぶち壊すように、空気を読まない六花があっけらかんとライダーに尋ねた。

「そうですね…今回の戦闘であまり周りを気遣う余裕がありませんでした。
 ですから、シキさえ大丈夫ならこの辺りの見回りを一度しておいた方が安全だと」

目線で是非を問われ、志貴は反射的に頷いた。

「それでは三時間後に出発しましょう。
 シキの傷は思っていたよりも浅かったのですが、念のため戦闘行為は回避しますからご安心を。
 この辺りと、新都の方を一巡して終わりにします。疲れたでしょうからリッカは先に寝ていて結構です」

ライダーは用件だけを手早く伝え、霊体となった。
そこにどんな意図があるのかと志貴が愚考しようとして、視界が揺らぐ。
理性と違い体は正直なようで、限界まで動いた反動に急速を求めていた。
暗転した世界に安らぎを覚えながら志貴が倒れる。
六花が慌てて抱き留めなければ、おそらく閉じた胸の傷が再び開いていた。
はぁ、と間一髪で間に合った事に一息つき、六花は志貴の足を持った。

「おやすみ」

ずるずると志貴を布団まで引っ張って、六花は微笑んだ。





「さぁ。行きましょう」

戦闘後、休むことなく警戒を続けていたライダーは疲れをまったく見せない姿で居間に現われた。
二時間半の仮眠を取り、寝起きのお茶を寝ぼけ眼で啜っていた志貴がのそっと顔を動かし、ライダーを視界に捉え、頷いた。
舌が痺れる熱いお茶を一気に飲み干し、少しふらつきながらも外套を手に取って立ち上がった。

「じゃあ行って来る。戸締まりには気を付けて」

「うん。いってらっしゃい二人とも」

バタンとドアが閉まり、昏い空が志貴とライダーを出迎えた。
外套の隙間から侵入してくる少し肌寒い空気が、先刻つけられた胸の傷を撫で、体が針と冷える。
学校から帰る途中、志貴は申し訳程度に手当をしておいたのだが、この分だと動くぶんには何の問題もない。
仮に戦闘になったとしても、この傷が理由で負けるということはあり得ないだろう。
ただし、体力の大方を削られてしまい、僅かな休息では取り戻しきれなかった。
消耗している体力を考えると、まともに戦えるか不安な所がある。

「体調はどうですか?」

「問題ないから一緒に外に出たんだよ。でもさすがに戦闘は無理かな」

「わかりました。予定通り戦闘は避けましょう。
 しかし、敵がこの近辺まで嗅ぎ付けていた場合はこちらから仕掛ける事になります」

「わかってる。その時はやってやるさ。サーヴァントは任せたよ」

ライダーは嬉しそうに頷いた。

「はい。任せてください」

夜という事もあり、二人は気兼ねなく家々の屋根を飛び回る。
ライダーの予定では、六花のアパートを中心に半径五百メートルの円内部を捜索するつもりらしい。
と言っても、実際は柳洞寺の結界が大部分を占めているため、半円という事になる。
どういう基準で判別しているのか、ライダー曰く、この内部に敵がいないのなら、自分たちの存在はばれていないそうだ。

「大丈夫そうだな」

虱潰しに捜索し、二時間以上をかけて安全を確保。
マスターの安全を第一に考えるライダーらしい行動なのだが、付き合わされた志貴は大分くたびれていた。

「ええ。それでは帰りましょう。今夜はあまり良い月でない」

「そうだ―――」

同意しかけた志貴が顔を上げ、すんと鼻を二度鳴らした。

「血の臭いだ。どうする?」

「どうすると言われても…今日はもう戦わない方がいいでしょう。
 それに、六花の意向は貴方が殺さないこと。そして殺されないこと。この二つだけです。
 ここで無謀を冒さずとも、六花に気兼ねする必要はありません」

ライダーの言葉は反論の仕様がない正論だった。
まともに動けない半怪我人の状態で首を突っ込み、刎ねられてしまったとしたら、それこそ笑えない。
だから、例え何者かが人を襲っていたとしても、志貴には自己を守るために見ぬふりをする権利があった。

だが、聖杯戦争に参加した理由はなんだったのかと自問する。
あの人を助けるために、自分の全てをなげうつ覚悟で参加したのではないのかと。
この町に着いたとき、志貴はそれが他の全てを犠牲にする事なのだと思っていた。否、今でもそう思う。
しかし、志貴は徹する事が出来なかった。
志貴はあの人を助けるために他の全てを捨てるつもりで、目に映る人を可能な限り助けていたのだ。
個を生かすために他の多数を犠牲にする事と、他を全て救おうとする事。
決して相容れない背反した道理を気付かぬうちに抱え、志貴は無関係な誰かを助けるために学校の結界を調べ、無関係だった六花の命惜しさに刃を止め、マスターである凛と士郎を殺さずに見逃した。

志貴がその矛盾に気付いたのは、六花の声に刃を止めた時だった。
本当に殺すつもりでいたなら、生死の境に放った刀を止められるはずなどなかった。
志貴はどこかで誰かが止めてくれる事を望んでいたから刀を止め、凛と士郎を殺さずにすんだ。
あの時、刀を止めてしまった事に愕然としながら、どこかで安堵していた事を覚えている。
この数年、何度も口にし、されていた言葉―――七夜志貴は甘い。
ようやくそれが本当なのだとわかった。

その上で志貴は、覚悟の意味を再び問う。
そして答えは決まっていた。
あの人を助けたいと願った根底に、自分は何を思っていたのか。
誓いを果たしたい。それもある。
友達を助けたい。それもある。

―――誰かの役に立ちたかった

それも、ある。

だから自分は、甘えを捨てて、全てを擲つ覚悟をしたのではないのか。
志貴は自分の信念に準ずる覚悟をしたのだ。
全てを犠牲にする。
それが覚悟だった訳じゃない。それは覚悟の一つのカタチ。
志貴があの人のために戦うと決めたとき、それしかないと泪して誓った想い。

その想いが間違いであるはずがない。
しかし、それだけが正しいわけでもない。
だから志貴は思う。
目に映る人を助けたいと願った原始。それを捨てるのは正しいのか。
誰かを守りたいと願うのは間違いなのか。

志貴はうん、と頷いた。
ライダーが怪訝な顔をする。
誰かを見捨てるという意見に頷きながら、志貴は優しく笑っていた。
どこか遠い憧憬を眺めるように、眩しさに目を細めるようにしながら。
もう一度、うん、と頷き覚悟を決めた。

その結果、手からこぼれ落ちる欠片を掴もうとして、さらに失うことになろうとも。
足掻いて足掻いて足掻いて、爪が剥がれようとも拾い続ける。
それは必ず終わりがくる想い。
しかし、志貴は迷わなかった。
そうだ。久しく忘れていた。
正しいと思う事をやる。それが自分の生き方だったんだ。

「いや。行こう。すっかり忘れていたけど、俺は助ける側にいたいんだ」

そういう志貴の顔は晴れやかだった。
ライダーは矛盾した志貴の言動に首を傾げたが、すぐに頷く。

「わかりました。出来る限り援護します」

二人は屋根を蹴った。
向かうは新都。
横風が吹く橋を挟んで、こちら側に匂いが流れ込んでくるぐらい時間が経過しているのだから、悩んでいる暇はない。

「シキ。一つ訊ねます」

車両のまったく通らない橋の上を疾走しながら、ライダーが志貴に話しかけた。
サーヴァントとして動くとき、一切の無駄を省いていたライダーの問いかけに志貴は意外そうな顔で振り返った。

「なに?」

「シキは何故この戦争に参加したのですか?」

「どうしてそんな事を?」

ライダーが珍しく言い淀む。
先といい、今夜のライダーはどこか可笑しかった。

「その…不快な思いをさせるかもしれませんが、貴方の行動には一貫性がない。
 ですが、シキを信頼していないという訳ではなく…」

ライダーの言いたいことが何であるのか察し、志貴が苦笑いを浮かべた。
自分がやっと気づけた事にライダーはとっくに気付いていたらしい。
客観と主観は違うとは良く謂った物だ。

「いいよ無理に説明しようとしなくて。
 俺は大切な友達との大切な約束を守るためにここにいるんだ。だけど、俺自身に色々問題があってさ」

「そうですか。それでは私も話します」

「無理しなくていいよ。俺だって話せることしか話していないんだ」

「いえ。貴方の言を借りるなら、それは不公平というものです。私とてその程度の礼儀はもっています。
 私は元マスターを助けたい。それだけが私の望みです」

志貴は驚きに歩調が崩れた。
今まで六花がライダーのマスターである事に、なんら不思議を感じていなかった。
しかし、思えば六花は一度も令呪を使っていない。
つまりそれは、正規のマスターが他にいたという事ではないのだろうか。

何かが脳裏を掠める。
ジグゾーパズルの最初の二つが組み合わさったような、何の役にも立たない一歩。

「それって―――後にしよう。近い」

しかし、現実は思考に耽っている時間をくれないようだ。
血の匂いが鼻をつき、甘い、香のような臭いが混ざり始めていた。

「はい」

ライダーもその匂いに気付いたらしく、道案内は不要と志貴の前に出た。
二人が駆ける先にあるのは中央公園。
魔窟に等しい暗闇の中で何かが蠢いた。

「ほ。久しいのぅライダー」

小猿のような老爺が、蠢くそれらの中に立っていた。
見れば、老爺の足元を這う何かは拳大の虫で、男性器のような嫌悪を誘う造形をしている。
それらをグジュグジュと粘液を泡立てながら、老爺は喰っていた。
通常の捕食とは異なり、虫は女王に集まるように老爺を目指し、辿り着いた傍から老爺に吸収されていく。
虫たちと同じ匂いを放つ老爺を目にし、志貴はその正体を察した。

「虫か」

自らの正体を看破され、老爺は品定めするように志貴を見る。
やがて、満足したようにくつくつと笑った。

「なるほど。それが主の新しいマスターか。なかなかどうして良いものを引いたもんじゃて」

「何をやっていた?」

「老人に頭を使わせるでない、若いの。わざわざ確認せんでもよいぞ」

志貴は柄に手をかけた。
逡巡していなければ助けられただろう誰かを弔うために、刀を抜く。
しかし、志貴の前にライダーが立ちふさがった。

「シキ、下がってください」

「けど…」

反論しようとして、言葉を失った。
ライダーが怒っていた。
怒気を隠そうともせず、目の前にいる老爺を睨んでいたのだ。

二人が良くない知り合いだというのは、先の老爺の口振りでわかっていた。
ならば、何故二人の関係は良くないのか。
また、パズルのピースが一つはまる。

「感謝します」

ライダーが飛び出した。
そして、甲高い迎撃音。闇から飛来したナイフがライダーの突進を止めた。

「アサシン!?」

声に応えるように白い髑髏が浮かび上がる。
暗殺者の独壇場ともいえる暗闇を警戒し、ライダーが志貴の元まで飛び退いた。

「魔術師殿」

髑髏の仮面に似つかわしくない、どこかで聞いたような真っ直ぐな声。

「わかっておる。さらばじゃライダー」

崩れるように老爺が暗闇に消え、髑髏は現われた時のようにスッと消えた。
目の前に広がる闇に、ライダーは追跡を断念した。
手負いの志貴がいる以上、深追いすればこちらが狩られる。

「くっ…」

ライダーは己を納得させるように武装解除した。

「悪いライダー。足を引っ張った」

「いえ。無理を言って連れ出したのは私です。こちらこそ熱くなって申し訳ない」

互いに頭を下げ、どちらともなく小さく吹き出した。

「間が悪かったんだな」

「はい」

「でも、あいつらを見逃したのは痛い。サーヴァントまで連れていたなんて」

志貴は敢えてライダーとの関わりを指摘しなかった。
口にしている訳ではないのだが、ライダーがその話題を拒んでいるように思えたからだ。
志貴の心遣いに感謝しつつ、ライダーは頷いた。

「私も知りませんでした。いえ、間桐臓硯はサーヴァントを保有していなかったはずです」

志貴は僅かに瞠目し、臓硯が消えた暗闇を見た。

「どういうことだ?」

「わかりません。悪い予感がします」





あとがき

どもDのちゃぶ台です。
相変わらず旧パソを使い、いそいそと書いています。
先日、心優しい友人が「おれしばらく旅行行くから、その間パソコン貸してやるよ」と言ってくれ、ホロウを無事にクリア。
更新が遅くなったのも一重にそのためです。
いや、パソコンというお高いものを貸してくれるなんて神だと思いました。
原チャでお迎えに行ったときはさすがに怒られましたが。
そのお陰で脳内設定を色々と修正できたり、久々にフェイトキャラに触れてイメージを掴めたり、良かったです。
ホロウ自体も最高でした。
どのぐらいの感銘を受けたかと言えば、
平行作業はつらいけど、バゼット物にも手を出してみようかなぁ…とマジで考えて、プロットも立てちゃったりしたぐらいです。
現在prologueと一話を書き終わっていたりします。(これも遅れた理由)
ちょくちょくいじって、続けられる形になれば投稿するかもしれません。
ちなみに現時点ではクロス。再び(こっちは月姫の純正品な)志貴さんと一緒。
私はクロスしか書けな…もとい、書かない人なんで。(そして月型以外とクロスさせる技量無し)
何かナイスな案があったら是非教えてください。

今回五話を更新するに当たって、二話と四話を改訂しました。

二話:六花が素で令呪を使っていました。
ホロウのとあるシーンを見て、ふと気付き、見返してみたら当たりでした。すみません。
プロット段階だと『not令呪』と書いてあったんですが、意識しすぎて逆に令呪を使ってしまったっぽいです。

四話(改訂後四―A):ラストの会話。
内容は間違っていなかったんですが、ニュアンス的に表現したい事と微妙にずれていたので変更しました。
ついでに五話同様三十キロで区分けして再投稿という形を取らせていただきました。
理由は簡単で、四十キロ前後の文章が、私の旧パソが一度に処理できる最大だったりするからです。いや、古い。

両方とも改訂を見ずとも大丈夫なのですが、一応見ておいてください。
その方が納得の行く流れになっていると愚考します。
改訂は急いで行ったので、誤字や脱字はオールスルーしてます。見つけたら一報を。



感想ください。
正直、今回の話は書いていて不安だったんで、読んで何を思ったのか教えてくれると嬉しいです。
それによって改訂する場合もあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。