アルクェイドが外へ飛び出した後、屋敷の中は騒然としていた。
「志貴様・・・・志貴様ぁ・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「兄さん!兄さん!・・兄さん・・!!」
泣きながら志貴の名を呼び、うずくまる翡翠。
人形のように動かなくなった琥珀。
兄を呼びながら髪を真っ赤に染め半狂乱になる秋葉。
そこは正に"絶望"と言う名の空間だった・・・
氷月
〜第七話:割烹着の悪魔〜
カチ、カチ、カチ、カチ
時計の音がいやに大きく聞こえるこの空間。
ただただ「兄さん」と呟き続ける秋葉、
うずくまり、震えながら泣き続ける翡翠、
「・・・・・・・・」
今だ微動だにしない琥珀。
そんなことがどれほど続いてからか、秋葉が口を開いた―――――
「琥珀」
全く感情のこもっていない声。
「はい」
返事をした琥珀にも表情は無い。
焦点も合っていない。
「埋葬機関、それについてすぐに調査を」
相変わらず秋葉の声に感情はない、いや、あるのだが「恕」の感情が大きすぎるため、他の感情が欠落してしまったのだ。
「はい」
それに答えて、琥珀が電話に駆け寄り、受話器を手にした瞬間だった。
「その必要はない」
「「「!!」」」
全員の視線が一点に集中する。
その先は玄関…、そこに立っている仮面の男――
「――!」
耳の奥に響く兄の絶叫。
誰よりもやさしく、誰よりも命を大切にする人…
その彼に、自ら死を望ませるほどの苦しみを与えた輩が、目の前にいる――
――故に、それに殺意を抱くことは至極当然のこと
秋葉の顔が豹変する、
髪の色が、赤から尚朱く染まる。
人から――、鬼へと――――
セラフが横に飛ぶ。
次の瞬間、今までセラフの居た床がごっそりと無くなった。
「あなたは・・・・」
秋葉の…真紅染まった髪が、風もざ無いのにざわざわと蠢いている。
「あなたは兄さんに何をしたんですかああああ!!!!!!!!」
「とりあえず・・・もうこの世に遠野志貴という人物は存在しない。
―――分かりやすく言えば…殺した」
憤怒した秋葉の声とは裏腹に、男は感情の無い声で、さもつまらないように簡潔に述べた。
「「「!」」」
翡翠、秋葉、琥珀の顔から表情が消えた。
「あ・・・」
秋葉から赤い霧のよな物が浮き出す。
「あ・・・あ・・・」
その霧は秋葉を包むように濃くなっていく。
それは古代、最強と言われた鬼の姿。
全ての"あか"の名を冠する具現。
――――――紅赤朱―――――――
「ああああああぁぁあぁぁあああぁあああああああああ!!!!!!」
秋葉の体が爆せた。
その速さはさながら弾丸のごとく、一直線にセラフへと向かっていく。
だがセラフは右足を軸に体を半回転させるだけで秋葉をやり過ごし、その背に掌手を入れる。
ズン、という音。
衝撃は秋葉の移動速度を利用し、弾丸以上の速度で、彼女の体を壁に突き飛ばした。
ゴガァ
「ぐ・・・う・・・」
壁をクレーターの用にへこませるほどの勢いでの衝突。
鬼となったとはいえ、そのダメージは無視できるものではない。
「か・・ぁ・・・」
めり込んだ壁から這い出してくる。
余りのも湧き上がった恕の感情。
それが痛みやダメージをすべて遮断していた。
「コロス・・・」
もはや怒りで理性が完全にトンでしまったのか、秋葉は低い声でそう言い放ち、檻髪を展開した。
「・・・・」
相手を視覚に捉えるだけで、その対象から『熱』を奪い去る『略奪』という名の異能。
それに対しセラフは無言で刃を振るう。
刃はまるで踊るかのように銀の閃光を残し、迫り来る『不可視』のはずの檻髪をことごとく切り落としていく。
「ギィ…!」
秋葉の顔が尚ゆがむ。
「ガァ……!!!」
獣のような声を上げ、再び地を蹴り駆け出す。
もちろん檻髪を展開しながらである。
「はぁぁぁぁ!!!」
だが、2度目の特攻は再び失敗に終わった。
――いや…、正確には、そこで秋葉の戦闘は終了した。
秋葉が視覚に捉えていたはずのセラフ…、その姿が"ぶれた"
――危険!!!
鬼の本能が秋葉に警告を鳴らしたてる。
だが、気づいた時にはもう遅く――
スパン
秋葉はいつの間にか真横に移動していたセラフに"出足"をきれいに払われ――
ゴ・キン!!
バランスを崩し、無防備になった脊椎に、鉄球のような裏拳を叩き込まれた――。
「――――か――ぁ」
常人ならば、その一撃で骨が粉々に砕けるだろう。
だが、紅赤朱…鬼となり、強化された秋葉の体は、『失神』という軽症に留めた。
…多少骨にひびが入っただろうが、鬼の血が直ぐに治してしまのでそれは『重症』とは程遠い。
だが…、戦闘…いや、『殺し合い』においてそれは敗北であることに間違いない。
「存外、あっけないものだ…」
次に聞こえた声は女性のもの――
そう言いながら秋葉を見下ろす。
「いくら混血とはいえ、所詮は素人。……雑魚か…」
つまらなさそうに、そう呟いた。
――と同時に、その場所から一気に横に飛びのく。
スガガガガガガガガガガガガォォォオオン
けたたましい爆音。
先ほどまでセラフが立っていた場所は、一瞬にして抉られ、粉砕された。
ギャギャギャギャギャギャギャギャ!!!
再び巻き起こる轟音。
「ち・・・!」
舌打ちしながら、ロビーを駆ける。
蜘蛛のように壁を蹴り、移動する。
ソレを追うように、壁が、床が抉られていく。
「いくら混血の屋敷とはいえ・・・そんなものを装備しているのか――!」
ロビーの隅まで跳躍し、毒付きながら"ソレ"を睨みつける。
壁に賭けられていた美術品・・・どこかの風景を描いた風景画。
――それが上にスライドされ、顔を覗かせている丸く黒い、無骨なフォルム。
分かりやすく言うならば、ガトリング砲と呼ばれるそれ。
『まだまだ、こんなものではありません。 これくらいじゃ"あの方"は撃破できませんからね・・・』
屋敷に響く琥珀の声。
だが、その声にいつもの明るさはない。
冷たい、人形のような声―――
『形成逆転ですね…。
さぁ、それではわたしの質問に答えていただきます…。
志貴さんを――』
「くどいぞ小娘。 遠野志貴は殺した、死んだといっただろう?
先ほどのテープレコーダを聞いただろう?
苦しんで、苦しみぬいて死んだ」
聞いていなかったのか、と嘲笑う女の声――
『――――うそですね』
だが、その凍てついた声を、琥珀はさらに冷たい声でなぎ払った。
ぴたりと、セラフの表情が固まる。
「――何……?」
目を細める。
だがその仕草は驚いているからではない。
目の前の物に少しばかり興味が浮かんだにすぎない。
『――埋葬機関。
裏社会、吸血鬼や魔といった、神にあだ名すものを断罪することを常とする表だって存在しない"教会"の裏の顔。
9から1、絶対数を持つ超人的戦闘能力を持つ司祭。 そして"概念武装"とよばれる武器を保有した
神を代弁する者……法王庁所属の死刑代行人、エクスキューショナー。
……その存在は全世界において極秘である…』
「ほう……」
琥珀の台詞に楽しげに呟く。
「とうやら…主であるこの小娘よりも、使用人の貴様のほうがよく知っているようだな…」
『伊達に遠野家に長いこと仕えていません♪』
答えるその声は明るい、いつもの調子の琥珀だった。
だが、セラフ……いや、"彼女"は理解していた。
――この女がどれほど危険なのかを…
戦闘の危機感ではない。 もっと"現実的"な危機感だ・・・。
「貴様が埋葬機関のことについて知っていることはわかった・・・。
――だが、それでどうして遠野志貴が生きていると言えるのだ?」
『簡単です♪ 志貴さんは七夜という退魔の家系。
遠野という血を吸う鬼ではありませんので、埋葬機関の…"神の敵"として認識されることはありません。
……それに、一番おかしいのは貴方の存在そのものです』
「…どういうことだ?」
『ぶっちゃけて言いますと。 存在自体が極秘な埋葬機関が、志貴さんを殺したっていう報告……。
いちいち嫌がらせみたいなことで、私達『表』の人間に接触するはずないじゃないですか♪
――もし殺したのなら、そのまま放置、情報は全て抹消するでしょう?』
ウィィィン・・・・
そう琥珀が言った途端、ロビーというその空間は変貌した。
豪華なソファーが二つに割れ、中から飛び出した二門の機関銃。
壁に掛けられた絵が次々と上にスライドし、顔を出すおなじみガトリング砲。
――ロビーは違う意味で、『相手をもてなす』準備が整えられた……
『…おっと、いろいろ聞く前に、秋葉様は返してもらいますね♪』
そして『ポチ』と言う音と同時に、秋葉の倒れている床が『パカ』っと口を開けた。
ヒューーーーーーーーーーー……グシャ…
何か、鈍い音がした後、床の穴は再び塞がった。
「ふん、自分の主にしては…随分な扱いだな」
つまらなそうにその様子を眺めるセラフ。
『秋葉様は頑丈ですから、20mやそこらの落下なんてへっちゃらです♪』
「――それで……聞きたいこととは何だ?
お前は面白い、質問する権限を与えてやろう……」
クスリ…と笑いながら言う。
このような状態であろうとも、彼…いや彼女にとっては危機的状態からは程遠いといわんばかりに…
『では聞きます。
遠野志貴――、志貴さんをどうしたんですか?
先ほどのテープレコーダーの悲鳴…あなた方は志貴さんに何をしたんですか!?』
「……言ったところで、貴様には理解できん。
だが、まぁ…世間一般で言う"酷いことはし尽くした"がな…」
にやりと…と、表情の見えないはずの仮面の向こうで、セラフは確かに笑った…
『――では、症状はどうなんですか……』
感情を押し殺した声。
もし琥珀が、"人形時代"を体験し、感情を"殺す"ほどの精神操作ができなければ
彼女は間違いなく一斉放火のスイッチを押していたであろう。
「――生きている。 しかも前よりも遥かに具合がよくなってな…。
こちらとしては感謝してもらいたいくらいだ…くくく…」
観念したのかしていないのか……、くぐもった笑いをしながら答える。
『ソレはどういう――
「質問はここまでだ、なかなか楽しかったぞ」
琥珀が最後まで言い終わる前に、セラフの両腕が動いた。
――いや、動いた…と言っても琥珀にはその挙動すら見えない、全くのノーモーション。
琥珀から見れば、一瞬だけセラフの両腕がピクリ、と動いたようにしか見えなかったろう。
ゴト・・・ゴトゴト・・・ガチャン
『――――な…』
ここは琥珀の部屋のその奥。
現当主である秋葉ですら知らない隠し部屋。
その一室。
ところ狭しと置かれた屋敷の内装が映し出されたモニター。
それに負けないくらいの、大型のコンピューターと複雑に絡まった配線。
その中央、ロビーの移された巨大な画面の前でに座る、遠野家の裏の支配者。
――琥珀は、目の前の映像に目を見開いていた―――
「――――な…」
琥珀は、画面の向こうで起こったことが信じられなかった。
男の…セラフの両腕が一瞬、『ピクリ』と動いたように見えた後…
甲高い金属音を立てながら、ロビーに配置された全ての火器が、文字通り『鉄くず』にされたのだから…。
――琥珀に見えなかった不可視の攻撃。
いや、不可視ではなく、単純に『目が追いつけない』攻撃。
それは、全くのノーモーションで放たれた17本の『銀の針』。
ロビーに装備されていたのは17の凶器。
つまり――――、セラフは、一つとして外すことなく針の1本につき1つ。
瞬きすら許されない刹那で、全ての火器を破壊したのだ。
セラフが腕を振ったのは実に4回。
もし、一度しか腕を振らなければ、琥珀には『ピクリ』とすら見えなかっただろう。
『――いくら大層な武装でも、使い手が素人…、まぁ手馴れた者でも"コレ"の相手はかなり無理がある。
そんなに、気を落とすことは無いぞ?』
画面の向こう側で、セラフが楽しげに言う。
……いや、実際に楽しいのだ。
有利に立ったと思った矢先、あっという間の逆転、絶望。
ソレが楽しくてしょうがない…
「ま……まだまだです!」
そう言うと、琥珀は、机の端に置かれていた――
市販されているゲームのジョイパッドを手に取った…
「もう容赦しません!!」
琥珀の目つきが変わる…。
普段の明るい表情から、熟練の戦士……ロード・オブ・ゲームマスターの顔へと…。
ジョイスティックが物凄い速さで回され、右手は的確な順番でボタンを連打してゆく。
そして――画面の向こうで壮絶な『戦争』が始まった――