世界の影に、在りし二人







「さて、此処がニホンという国か」



 日本のとある空港内で、一人の少女が呟いた。

 傍らに巨大な犬らしき生物を連れた少女は、彼女の容姿と相成って非常に人目を引く。

 だが、何故か周囲の人間はこの少女を見ていない。………否、見えていないのだ。

 混雑する空港内でありながら、少女の周囲だけ人が避けており。そして誰も少女を見ていない。



「行くぞ、プライミッツ」



 共である白い犬に声を掛けると、少女は歩き始める。

 ある目的を果たす為に。














世界の影に、在りし二人<前編>














「ねぇー! しきぃー!! こっちこっち!!」



 まるで太陽のように爛々と笑いながら、自分に声を掛けてくる女性に彼は苦笑を漏らす。



(普通は天敵の筈なんだけどな)



 そう。太陽のようだ、と表現した彼女は、世間一般的に正逆の位置に在る存在だ。

 それでも彼女を表現する時、彼は胸を張って言うだろう……太陽のように眩しい女性だと。



「何してるのよ? 志貴。折角のデートなんだから、一緒に楽しみましょうよ」



「あぁ、そうだな。ゴメン、ちょっと変なこと考えてた」



 女性の言葉に、男が苦笑と共に言葉を返す。

 男の名は遠野 志貴。

 余り特徴の無い、平凡な顔立ちに黒いフレームの眼鏡。

 白いシャツに、黒いジャケットとパンツ。そして黒い靴というモデルの様な格好だ。

 顔と服が合っていない為、少しアンバランスな印象を受ける。



「それで、アルクェイド。どこに行くんだ?」



「それは着いてからの、お楽しみ♪」



 志貴の言葉に、女性が笑いながら返す。

 彼女の名は、アルクェイド・ブリュンスタッド。

 愕くほど整った顔立ちは、楽しそうに『笑い』の表情を作っている。

 闇夜に在っても尚、輝くような金糸の髪は肩口で切り揃えられていた。

 そして、顔の中で一層目を引くのが彼女の瞳だ。血のように紅い、深紅の瞳は寒気がするほど美しい。

 服装は、傍らに立つ志貴と合わせたのか白いシャツ。そして黒いスカートに靴を履いている。

 素足を覆っているのは黒いパンスト。ちなみにこれは志貴の懇願で穿くことになった。

 別にパンストが好きなのではなく、ちょっと素足の刺激が強すぎたらしい。



「やれやれ、あんまり変な所に連れてくなよ」



【そんなこと、無駄だと解っているのだろう?】



 志貴が軽快に前を歩いているアルクェイドに、苦笑交じりの声を掛ける。

 すると、志貴の脳裏から響くように声が聞えた。

 酷く聞き慣れた、やや皮肉気な声。



「そう言うなよ、七夜。一応いっとかないと、アイツは暴走しっぱなしだぞ」



【……………確かに。真祖の姫には慎みが足りんな】



 再び声が聞える。それは、少しだけ苦笑するような口調に変わっていた。

 志貴はこの声の主を知っている。

 声の主の名は、七夜。嘗て、遠野 志貴が出来上がる少し前に生まれ、遠野 志貴の影で生きる存在。

 既に、志貴の中に七夜 志貴は無い。あの月の綺麗な夜に、『鬼』によって殺されたからだ。

 あの夜、七夜 志貴は死んで「七夜」となり。「七夜」から「遠野 志貴」が生まれた。

 少しの間だが、志貴も七夜 志貴と名乗っていたが、そんなものは偽りのものでしかなかった。

 ややこしいが、端的に言って志貴とは「人の心」であり、七夜とは「血に刻まれた記憶」といえる。

 そして、何よりも志貴を変えたのは
―――――――。



「ほら! 早く早く!!」



「わ、分かったから、引っ張るなよ!」



 自分にとって、何よりも大切な女性(ヒト)

 天真爛漫な笑みを浮かべ、幸せの絶頂にいるであろう彼女の御蔭だ。

 さて、今はそんな理論など如何でもいい。今はただ、彼女との一時に身を委ねよう。

 そう思い。彼もまた、彼女と同じ笑みを浮かべて前へと踏み出した。











◆ ◇ ◆ ◇ ◆













 嘗て孤独を体現していた城は、一人の来訪者に歓喜を現していた。

 紅い絨毯が敷かれた、長い回廊。その中を一人の男が歩く。

 彼は志貴と同じ容姿、服装でありながらも、二つほど志貴とは違うところがある。

 一つは黒いフレームの眼鏡が無いこと。

 一つは彼の持つ雰囲気が、研ぎ澄まされた日本刀のようであること、だ。

 彼こそが、遠野 志貴の影。名を
―――――――七夜という。



「御機嫌よう、朱い月」



「気色悪い」



 出来る限り優雅に言った挨拶は、半目で睨み付けてくる美女に斬って棄てられた。



「酷い謂われようだな」



「確か………マリ○てだったか? 変なことを憶えおって………」



 頭痛を抑えるかのように、美女はこめかみに手を当てる。

 彼女を言葉に変えるのならば、髪の長いアルクェイドだろうか。

 膝まで伸びる月光の如き金糸の髪に、服装はアルクェイドと同じだ。

 ただ彼女は太陽というよりも、月。夜の天蓋に浮かび上がる孤高の存在、というイメージだ。

 彼女の名は、朱い月。アルクェイドの中に住む、真祖の王だ。



「フッ、吾も内容までは知らぬがな。志貴が(秋葉に)似合うだろう、と言っていたのだ」



「どんどん俗物化しておるな」



 頭が痛い、とばかりにこめかみに手を当てる朱い月だが、口元には隠しきれぬ笑みが浮かぶ。

 朱い月は七夜がこういった俗物的なことをいうと、良く笑う。

 声を上げて、呵呵大笑する訳ではなく、押し殺すように笑うのだ。



「良い傾向、だろう?」



「戯け。それの何処が良い傾向だ」



 とはいえ、七夜自身もこんなことを普通は言わない。

 彼がこんなことをする理由は一つ。

 朱い月に笑って欲しい…………彼がこうする理由は、ただそれだけだった。

 七夜も似合わないことは分かってはいるのだが、どうしても止められない。



(厄介なものだな、惚れた弱味というのは)



 心中の苦笑に、思わず口元が緩む。

 目聡くそれを見つけた朱い月は、途端に不機嫌そうな表情を作る。



「何が可笑しい」



「フッ、別に………いつものことだ」



 歯痒そうに眉を顰める朱い月に対して、七夜は泰然としている。

 これは二人の経験の差である。

 朱い月は『個』である以上は、アルクェイドとは経験を共有することが無い。

 何よりアルクェイドにも志貴以外の経験など無い。

 だが、七夜は違う。七夜と志貴は元々一個の存在だった。

 それ故に経験を共有することも不可能ではなく、何より志貴は愚鈍でもあった。

 義理の妹に、メイドの姉妹。カレー好きな先輩に、錬金術師。それに加えて、夢魔と真祖の姫。

 全員に惚れられ、それに気付かないという愚鈍っぷり。無論、七夜はちゃんと気付いている。

 そして七夜は朱い月以外に興味は無いが、それらの経験を活かすのは容易いことだ。



「ふん………益々御主の表に似てきたな、七夜」



 口を尖らせ、せめてもの反撃を行なう朱い月に、七夜は微笑。

 そっぽを向いてしまった朱い月の背後に立ち、七夜は後ろから彼女を抱きしめた。



「ッ!?」



「夢幻…………幻想の中でしか許されぬ吾等。

 然れど、吾の想いまでは幻想では無い。

 それを確認したかっただけだ。こんな稚拙なことしか出来ぬ吾を、存分に哂ってくれ」



 七夜の言葉に、朱い月は無言。

 唯、七夜の言葉が脳裏をグルグルと廻り、思考の海へと埋没する。




 ―――――――哂えるものか。



 そう朱い月は思う。彼女にとって、七夜は半身だ。

 唯一人、悠久の孤独を癒した稀有な存在。

 初めて他者を欲したのだ。それこそ、狂わんばかりに。



「ふ、ん………出来るわけ無かろう」



 ゆっくりと背後に立つ七夜に身を委ね、軽く目を伏せる。

 それだけで七夜の温もりが、より鮮明に感じられる。

 一種の麻薬だ、そう朱い月は思う。いつまでもこうして居たいと、埒も無いことを思ってしまうのだから。

 だが同時に、朱い月はこうも思うのだ。酷く悔しい、と。



「……………………いい加減に離せ」



「ふむ、残念だ」



 朱い月の内心を見透かしたような音の響きに、悔しさが心に募る。

 目の前の椅子に腰掛け、優雅に紅茶を傾ける七夜を悔し紛れに睨むが、効果は無い。



「クク……如何した、朱い月? そのような恐ろしい表情を作って」



「ふん! 何でもないわ!」



 本当に悔しい、そう朱い月は思う。

 七夜と出会ってから、もう一ヶ月になるが朱い月は七夜が慌てる様子を見たことが無い。

 対して朱い月は抱きしめられたりするだけで、顔に血が上る。

 心が千千に乱れ、常の余裕が瞬く間に消えてしまう。それが堪らなく悔しい。



「朱い月、吾はな………………最近考えることが多くなった」



「ふん、それは私とて同じことだ。御主が悩みの種だからな」



 プイと、そっぽを向きながら言う朱い月に、七夜は苦笑。



「悪いが、真面目な話だ」



「…………………そうか」



 拗ねていた表情を収め、七夜へと向き直る朱い月。

 心を切り替え、真剣な表情で七夜と向き合う。

 二人の間には沈黙が漂い、朱い月は座して七夜の言葉を待った。



「吾は何の為に存在しているのか…………そのことを良く考える」



「七夜、それは…………」



 朱い月は言い掛けた言葉を飲み込む。今はまだ、七夜の言葉を聞いてみたかった。



「概念的に存在するならば、神すら殺す吾が瞳。

 人には荷が勝ち過ぎる眼を持たされた吾は、何の為に在るのか、ということを考えさせられる」



 何故こんな話をしているのか、それは話している本人である七夜にすら分からない。



「未だ答えは出ぬ。ただ、この瞳より知るは死の貴さ…………」



 それでも今は語らねばならない。不思議と、そんな気がするのだ。



「答えを得て何を得るのか、それは分からぬ。だが、求めずにはいられぬのだ」



 両手を握り締め、視線を落した七夜に、朱い月は無言。

 いや、ひょっとしたら言葉にならないのかもしれない。



「さて、そろそろ時間か」



 七夜の唐突な呟きに、朱い月は思う。もう、そんな時間なのか…と。

 二人が居るのは現と夢の狭間。故に、此処での時は一瞬であり無限だ。

 早い時もあれば、驚くほど長い時もある。今日は早いのだろう。



「なぁ……………七夜よ」



 ならば言うしかない。時が許さないのならば、未だ答えにならない言葉も言わなければならない。

 時には……………それが救いとなる時もあるのだから………………。



「私は今、凄く幸せだ」



 万感が込められた短い言葉。

 言葉と共に微笑んだ朱い月は、女神のようで…………七夜には、余りにも眩しい姿だった。











◆ ◇ ◆ ◇ ◆













「じゃあね、志貴。すっごく楽しかったよ」



「あぁ。またな、アルクェイド」



 名残を惜しみつつ、志貴とアルクェイドの二人は別れの言葉を告げる。

 いつもならアルクェイドのマンションに行くのだが、今日は秋葉のカミナリが怖いので大人しく分かれた。

 暗い夜道を歩きつつ、志貴は何となしに空を見上げる。

 今日は確か満月の筈だが、残念ながらの曇り空で、見えるのは灰色の空だ。




「―――――――残念だな」



【何がだ、志貴】



 脳裏に響く声に、思わずビクリ、と反応する志貴。

 なかなか聞き慣れないなぁ、などと思いつつ。声に応えた。



「今日は、さ。月が見えないんだ。綺麗な月夜だって、予報では言ってたんだけどなぁ」



【予報など、そんなものだろう。余計な期待などかけないことだ】



 冷静というか合理的な意見に、志貴は苦笑。

 志貴の知る限り、七夜が関心を持つのはたった二つだ。

 一つは「殺し」、一つは「朱い月」。前者は「業」で、後者は「心」だった。

 そのことを哀しいとも思うが、同時に羨ましいとも思う。



【志貴】



「な、何?」



 思わず焦った様子で反応する志貴。それを気にすることなく、七夜は言葉を続ける。



【何かが来る。とんでもない力を持った、バケモノだ】



「っ!?」



 七夜の警告に、すぐさま短刀『七ツ夜』を構える。

 コンマ数秒という速さで取り出し、油断無く周囲の気配を探る。



「何処に………?」



【まだ遠い。お前には捕らえられん。

 それよりも場所を移動しろ。吾等が領域に…………】



 返事よりも先に、志貴は走り出す。

 全力疾走で近くの公園へと移動し、森の中に身を潜める。

 七夜と理解しあったことにより、志貴はある程度の七夜の技が使える。

 それでも七夜が使うのには、遠く及ばないのだが………。



ザッ

「…………………」



 偶々近くにあった森林公園。森の中に身を潜めた志貴は、油断無く周囲を見る。

 油断も無く、高性能レーダーにも匹敵する気配の感知だったが、ソレは唐突に現れた。



ズ、ン…………

「がっ、は………………!」



 全身に圧し掛かる異常なまでの重圧。

 鉛のように重くなった体に驚く暇も無く、志貴の前に一人の少女が立っていた。



「初めまして、そしてサヨウナラ」



「ッ!!?」



 振るわれた腕を全力で躱し、地面をゴロゴロと転がる志貴。

 少女を見れば、目標を見失った手が一本の木を薙ぎ倒していた。



「驚いたわね。確かに重圧をかけたと思ったのに…………流石は『星』が危機感を持つだけはあるわ」



 少女には似つかわしくない凄艶な笑みを浮かべる。

 そこで漸く少女の容姿を見ることが出来た。

 膝まで伸びた鴉の濡羽のような漆黒の髪、滴り落ちる鮮血のような深紅の瞳。

 不可解なほど余裕を持たされた漆黒のドレスを纏い、更に漆黒のハイヒールを履いている。

 …………此処まで違うというのに、何故少女をアルクェイドに似ていると思ってしまうのか………?

 その答えは、少女の方からやってきた。



「妾の名は、アルトルージュ・ブリュンスタッド。

 アルクェイドの姉であり、死徒二十七祖・第九位に席を置くもの」



「ッ!!」



 謳うように名乗りを上げた少女……アルトルージュに、志貴は驚愕に眼を見開いた。

 一度だけアルクェイドに聞いた事があった。

 昔は髪が長く、朱い月と同じくらいだったらしいのだが、今のようなショートカットになった理由を。

 それが目の前に立つ少女、アルトルージュとの死闘が原因だと聞かされた。

 完璧に近い闘争者だった、嘗てのアルクェイド。

 アルトルージュは、それを退けるほどの実力者であるということに他ならない。



「何で
―――――!!」



「―――――逝きなさい」



 豪雨のように降り来る氷柱。

 巨大な弾丸如き速度で向かってくる氷柱を、志貴は理解するよりも早く回避行動に出ていた。



【言葉は不要という事か。志貴、アレは貴様では勝てん。吾に変われ】



「けど! あの子はアルクェイドの姉だろ!!」



 脳裏に響く七夜の言葉に、志貴は叫びで返す。

 致命的に甘い、そう七夜は思考の片隅で毒づく。今のままでは確実に殺される。

 かといって、無理に変わっては隙が生まれ、そこで殺される。

 現状、志貴の心が決まるまで待たねばならないことに、七夜は苛立ちを覚えていた。



「何で俺を殺そうとするんだっ!!」



「貴方の存在が危険なのよ。この『星』にとって」



 空想具現化によって、次々と生み出される氷柱。

 森林公園を形成する木々を穿ち、次々と穴を開けていく氷柱を、志貴は必死に回避していく。



「貴方には理解しろとも、納得してくれとも言わない。けれど、貴方には死んでもらうわ」



 どこか哀しみや、憐れみすら滲ませた言葉に、僅かに志貴の動きが鈍る。

 しかし、その間も容赦なく放たれる氷柱の一つが、志貴の右肩を貫いた!



「ぐ、ああぁぁぁぁ!!」



 鎖骨を砕かれ、激痛に呻く志貴に追い討ちのように数十の氷柱が放たれた。

 回避は出来ない、足を止めてしまった以上は、最早如何することも出来ない。



【諦めるのか?】



 脳裏に七夜の言葉が響く。



【貴様には失望した。本当に大切なモノを見失うような奴だったとはな】



 深い憤怒を滲ませた、七夜の言葉。



【吾等にとって大切なモノは何だ? そして吾等が出来ることは何だ?】



 激情を押し殺し、淡々と問う言葉に、志貴は答えを考える。



【吾等が出来るのは、所詮殺すことだけ。貴様がどれだけ否定しようとも、絶対の事実は変わらない】



 突きつけられる事実は、眼を逸らしていた事。



【ならば殺せ。殺すことしか出来ないのなら、不遇の運命も、絶望の未来も、殺すことによって切り開け!!】



 七夜の答えに心は救われ、眼鏡を外す。






―――――――瞬間、世界が罅割れた。







 動かない右腕に代わり、左腕で七ツ夜を振るう。

 瞬くよりも速く振るわれた七ツ夜によって、数十の氷柱が殺された。



「なっ!?」



 アルトルージュの驚愕する声。

 それを無視して、彼は自己の状態を再確認する。

 右肩を穿たれた傷によって右腕は使用不可。それ以外の部位は無傷により行動に支障なし。

 筋肉の収縮による血止めは10分が限度。それ以降は血が流れ、行動を阻害する。



「状態の認識を完了。

 アルトルージュ・ブリュンスタッドだったな。吾は志貴ほど甘くはないぞ」



「ッ!?」



 突然雰囲気の変わった志貴に、アルトルージュが始めて警戒したような構えをとる。

 それを無視し、彼は名乗りを上げた。



「吾が名は、七夜。

 遠野 志貴の影にして、凶がなる業を伝える者」



 瞬間、アルトルージュの肌が粟立つ。

 未だ解放されぬ七夜の力に、恐れ、戦慄するが如く………………。



「その瞳……………そう、やはり間違いでは無かったのね」



 震える体を抑えるように体を浅く抱き、アルトルージュは心底哀しげな声で呟く。

 アルトルージュの不可解な言葉にも眉一つ動かさず、七夜はただ見据えていた。



「貴様と共に居ては、アヤツがいずれ哀しむ事になる。

 最早、手遅れかも知れぬ。妾を憎み続けるやも知れぬ。…………それでも、貴様は殺す」



 非情なる決意を胸に、落していた視線を真っ直ぐに七夜へと向ける。

 感情の見えなかった深紅の瞳は、まるで泣いている様に見えた……………。






「―――――其は血と契約を示すものなり







 口を開き、紡がれる音。





「―――――真は天蓋にあり、其は水面に浮かぶ







 周囲に満つる、桁外れな魔力。





「―――――其は我が象徴。故に其に在りて、我が力を解放せん







 それを前にしても七夜は動かない。ただ静かに、その時を待っていた。





「―――――祭壇より、贄の血で満たせ鮮血の月(ブラッディ・ムーン)







 この時、間違いなく世界が覆った。

 大地を黒い水が覆い隠し、それが世界を隔絶していく。

 周囲に乱立していた木々が失せ、変わりに映るのは只々黒い世界。



 闇の天蓋に浮かぶのは、黄金の月。

 美しい真円を描いたソレは、孤高を体現するかの如く輝く。



 黒の水面に映るのは、寒気がするような深紅の月。

 鮮血によって染め上げられた月が、ゆらゆらと煌いていた。





 そして彼女は、その境界に立っていた。

 やはり何処か哀しげな表情で、成長したアルトルージュが立っていた。

 不可解だったドレスの意味を理解する。

 少女の身には余裕がある服でも、女性の身となった彼女には小さいぐらいだ。

 はちきれんばかりに広がった漆黒のドレスは、何とか彼女の肢体を隠す。

 全てはこの為にあったということが、たった今理解できた。



「この姿を晒すのは、アルクェイドと戦った時以来か…………」



 懐古するような顔で、己の手を眺めるアルトルージュ。

 その手を握り、拳を作る。

 固く胸に秘めた決意と共に、鋭い眼光で七夜へと視線を移す。



固有結界(リアリティ・マーブル)とはな。実物を見るのは初めてだ」



「知らぬようなので言っておこう。

 貴様が殺したネロ・カオス。彼奴の獣王の巣≠烽ワた固有結界だ」



「ふむ、確かに知らなかった。あぁいうのも固有結界なのだな」



 固有結界(リアリティ・マーブル)。それは一つの到達点であり、究極の一である。

 術者の心象風景を現実へと具現化し、世界を塗り替える禁断の魔術。

 固有結界には大きく分けて二種類存在し、隔絶型≠ニ領域型≠フ二種類がある。

 隔絶型は、完全に世界と切り離し、内界と外界に分けるため出るのも入るのも不可能である。

 領域型は、世界の一部分を変化させることによって展開し、出るのも入るのも自由である。

 一般的に前者は範囲が狭く、後者は街一つを飲み込む程にもなる。

 今回、アルトルージュが使った鮮血の月(ブラッディ・ムーン)≠ヘ、



「隔絶型で展開した。アヤツには、邪魔されたくないのでな」



 ただ静かに時を待っていた七夜が、この言葉と共に動き始めた。

 壮絶なまでに蒼い瞳を、アルトルージュへと向ける。

 口元に浮かべるのは笑み。それは見るものを恐怖へと誘う、死神の笑み。



「御託は終わったか? なら
―――――





―――――殺し合おうか―――――」













後書き



 グハッ!! 何かまたしても微妙な文! 駄文製造獣こと、放たれし獣です。

 「影で眠りし二人」より始った、二人シリーズの最終幕!!

 今度こそ、終わります。何としてでも終わります。この中編で終わります!!

 というわけで、次回を待て!!