何かが変わった一日(後)
何かが変わった一日(後)
ノスバーガーから歩くこと約10分、二人のデートはようやくそれらしくなってきた。
次に来た場所は映画館。
さて、前に来た時アルクェイドはかなり喜んでいたが朱い月はどうだろうか?
入っていった時は、アルクェイド同様にあまり興味を抱いてなさそうだったが―――。
――二時間後――
「アレは中々の出来だったぞ。いや〜、あやつの中から見てたときには感じられなかったがアレが作り物とは到底思えんな。
うむ、確かにあやつの言った通りであった。あの迫力は直に見ないと伝わってこんな。」
お姫様はとってもご満悦した様子でした。
ちなみに今回の映画は恐竜みたいな怪獣と、それのメカヴァージョンのやつと、蛾のような怪獣が三つ巴で大都市で大暴れして戦うというものだった。
おいおい―――(汗)。
「しかし惜しいな……。あの『ゴ○ラ』という怪物を妾の配下に置ければ、ヤツのガイアの怪物にも対抗できたであろうに。」
「そんな無茶はやめてくれ……頼むから。」
真面目な顔で考える朱い月。本気なのだろうか?
志貴は間違ってもこれ以上やっかいなモノが増えないように願った。
それから朱い月の興奮が冷めるまではその映画の話題で持ちきりだった―――。
続いて来た所はゲームセンター。
志貴もこういうところばかりでいいのかと思っていたが、他に行ける場所も似たり寄ったりなのでそのままにしておいた。
朱い月も、映画館での一件が尾を引いているのかゲームセンターに対しても期待で胸を膨らませているようだった。
もちろん、表面に出さないように何とか抑えていたみたいだが……。
――格ゲーにて――
「いけっ!!」
『極彩と散れ……っっ!!』
「汝のその技にはいささか不快感を抱くぞ……。っと、そこっ!!」
『会心の〜〜〜一撃〜〜〜っっ!!』
「うわっ!やられたよ!」
「ふっ、段々とコツが掴めてきた。さぁ、どんどん行くぞ!」
二人で一つの台に並んで、とってもハマッている。(いまどきそんなタイプのマシンあるのか?)
ちなみに、ゲーム名は言わなくてもわかるだろうから、あえて伏せておこう。
まぁ、朱い月の使用キャラには疑問を抱きたいが……。
――エアホッケーにて――
「志貴、これは何というものだ?」
ゲームセンターの中に置かれた一つの台を指して朱い月が尋ねる。
「あぁ、これはエアホッケーってやつだよ。ホッケーだったら姫でも知ってるだろ?
それの縮小版みたいなものさ。」
「姫でも……という言葉には何処か棘を感じるのだが。まぁ、確かにそれぐらいなら知っておるぞ。
なるほど……、折角だからこれもやってみよう。」
コインを入れてから、お互い向かい合うように台の前に立ち、片手に撃つ道具(名前忘れた)を持って構える。
球は、朱い月の方に出されてきた。どうやら先攻は朱い月のようだ。
「妾からか……。では、まずは小手調べに……。」
ヒュォッズドン!!!
朱い月が手を動かしたと思った瞬間、小さく風を切る音と何かが激突するような音がほんの一瞬の時間差で聞こえて、球は志貴のゴールに突き刺さっていた。
これでちゃんと機械の方も1ポイントカウントしているのだから驚きだ。
「どうした、志貴?これでは勝負にならないぞ。」
無茶いうな―――というのが志貴の心情だ。
これでも朱い月は手加減しているのだろう。でなければ、打った瞬間にボールが砕けている。
「(このままじゃ、ホントに勝負にならない。仕方ない……。)」
『こんな遊びに俺を使うな、斬るぞ?』
「(ごめんなさい……。)」
七夜モードに代わろうとしたが、速効で断られてしまった。
じゃあ、何故追いかけっこには付き合ったんだろうか?単なる気まぐれか?
こうなったら最後の手段と、眼鏡を外して魔眼を発動させる。
「(これで、エアホッケー上での俺の死を見て対応するしかない……。)」
朱い月も本気になった志貴を感じてか自然と熱くなってくる。
それにしても志貴、こんなことで眼鏡を外すなんて……先生の教えを忘れたのか?
この後、両者の凄まじい戦いはゲームセンター内にいるすべての者達に釘付けになっていたことを記しておこう―――。
――クレーンにて――
あれから他にも様々なゲームを堪能した二人は、最後の締めくくりにと店の外に置いてあるクレーンゲームをやることにした。
最初は朱い月も―――、
「これぐらいなら妾にも簡単にできそうだ。そこで見ておれ。」
―――と、余裕の態度を取っていたのだが、数回やってみると―――、
「むむむ……。」
とっても、悪戦苦闘してました。
朱い月の態度から取って見れるように、既に10回以上やっているが未だに収穫は0である。
ここまでくると、ほとんどの人はムキになって意地でも取ろうとする。
当然、朱い月もそうなってしまっている。
怒りの表情を浮かべながらも、クレーンをじっと見つめてそれを操るその姿は、真祖の姫であるということを欠片も感じさせないが、そこが逆に微笑ましくもある。
けど、さすがに朱い月にも我慢の限界というものがあった。
13回目の失敗で遂に―――、
「あぁ、もう!何だというのだこれは!?まったく釣れないではないか!!
そうか!!掴むところが二本しかないからパワーが足りないのだな!!?
それならば―――!!!」
「わーーーっ!!ストップ、姫!!さすがに空想具現化でアームを増やすのは良くないぞ!!」
あまりの理不尽さに暴走しかけている朱い月を志貴が必死で抑えている。
志貴に羽交い絞めにされたまま、朱い月は叫びに近い声で言った。
「離せ、志貴!!ここまでコケにされては妾のプライドが許さん!!この機械風情に真祖の力を思い知らせてやる!!」
気持ちはわかるけど、お願いだから人外の力は使わないで欲しい―――と、志貴の切なる願い。
未だ興奮状態にある朱い月をなだめるために、志貴が朱い月に向かって言った。
「わかった、わかった!俺がお手本を見せるから落ち着いてくれ、姫!!」
普通にしていても人目を惹きそうな二人のため、先のエアホッケーでの一軒も相まってか二人の周りにはかなりの人だかりが出来ている。
それを気にしてか、しなくてかはわからないが、志貴は早くこの暴れるお姫様を静めたかった。
志貴の言葉を聞いて、朱い月もようやく感情を抑えつけるまでに至った。
「わかった、そこまで言うのであれば汝の腕前を見せてもらおう。その代わり、妾よりもやって取れなかったら覚悟するんだな。」
「オーケー、わかったよ姫。まぁ、見てろって。」
朱い月から手を離して、入れ替わるようにして志貴がクレーンゲームの前に立つ。
ガマグッチから100円を取り出して、さっそく投入口に入れる。
それからすぐボタンに手を添えるが、まだボタンは押さないで中の状況を確認する。
多種多様のぬいぐるみが埋もれている中で、志貴はある一つに狙いを定める。
「(よし、これなら取れそうだ。)」
軽く唇をなめてから瞬きを一回して、一つ目のボタンを押す。
クレーンが横に移動していく。
志貴の定めた位置にクレーンが来たところですかさずボタンを離しそれを止める。
続けて、二つ目のボタンに手を添えて、そのまま志貴はクレーンゲームの横側に移動する。
側面から目標を見据え、二つ目のボタンを押す。
縦に移動するクレーンを見据え、目的の位置まで来たところで手を離す。
そうすると、後は自動に行われるのでクレーンの行く末を見るだけだ。
クレーンの動きを見ながら、朱い月は疑問を浮かべた。
何故なら、クレーンが下りる先は埋まっている人形と人形の間の辺り。
そんなところに下ろしては、人形を掴むことはできないだろう。
「志貴、どういうつもりだ?」
「まぁ、待ってて。―――よし、来た!!」
志貴がガッツポーズを取るのを見て、すかさず朱い月はクレーンに目をやった。
何も掴むことなく、上がっていくクレーン。端から見ればミスったとしか思えない、しかし―――
「まさか……、そのようにして取るとは……。」
思わぬ出来事に驚愕する朱い月。
上がっていくクレーンのアームの内の一本を輪状の紐に通して、そのまま釣るように持ち上げていた。
紐の下には、当然人形が釣るさっている。
これこそ、志貴の狙い。クレーンゲームでも定石と化しているやり方だった。
景品口までスムーズな動きでクレーンが進む。
水平に構えられたアームから、紐はズレ落ちることなく無事に志貴の手に渡った。
先ほどから、固唾を呑んで見守っていた周りの観客達から拍手の嵐が巻き起こる。
この芸当も、言うは簡単だが中々一回で成功するものではないのだから。
「………。」
見事人形を―――それも一発でゲットした志貴を見て、朱い月は唖然としてしまっている。
そんな朱い月の前に志貴が歩み寄り、人形を見せる。
「はい、姫。」
未だに惚けている朱い月の手を取って、そこに今取ったばかりの人形を持たせた。
呆然としたまま、されるままに人形を受け取ってそれをマジマジと見つめる。
人形の形容は三頭身くらいのキャラで、眼鏡と学生服を着用した男性タイプのもの。どことなく志貴に似ている。
「よいのか……?」
人形を抱えるように持って、そんな言葉しか出ない朱い月。
頭が混乱していて、どんな言葉を返していいかわからないようだ。
志貴の方は、何も言わずただコクリ――と頷いただけだった。
「……ありがとう……。」
赤くなった朱い月は俯いてしまい、聞き取れないくらい小さな声でそう呟いた。
その言葉が聞こえたのかどうかはわからないけど、志貴も満足そうに「うん!」と、もう一度頷いた。
よかった、よかったと、あれだけいたギャラリーも事の始終を見届けて安心したのかどんどんと散っていった。
その後、朱い月はもう一度だけ志貴が使った方法でチャレンジして見事一発で人形を取ることが出来た。
その喜びようときたら、本当に嬉しそうで、朱い月はすぐさまそれを隠そうとしたけど、結局はバレバレなくらいであった。
朱い月が取った人形は、先ほどのお礼も兼ねてか志貴に渡された。
こちらの人形は、やはり三頭身くらいでブロンドのロングヘアにドレスを纏った女性タイプのもの。どことなく朱い月に似ているデザインだ。
志貴は、それを大切そうに懐にしまい笑顔で「ありがとう」と言った。
そうして、満足した二人はゲームセンターからも離れていった。
空に浮かぶ夕日が、二人をオレンジ色に染めていた―――。
そうして、瞬く間に辺りは夜も更けており現在は午後10時になろうというところ。
志貴と朱い月は公園に戻ってきて、今朝二人が出会ったベンチにと並んで座っている。
最近は、連続殺人事件などの事は段々と人々の中から薄くなっていきこうして夜中でもそれなりの人が出歩いている。
この公園にもやはり多少の人は集まっており、そのほとんどが恋人同士といった感じである。
当然、周りから見ればこの二人もそのカップルの中に数えられているであろうけど、当の本人たちはそのことに気付いているだろうか?
どちらかと言えば―――きっと気付いていない。だって、この二人だし。
「さて、そろそろ見回りに行こうか。けど、本当にいいのか?姫って一応二十七祖の一員なんだろ?」
見回り―――、一度吸血鬼によって汚染された町はその浄化にかなりの歳月をかける。
親元である死徒が滅んでも、その死者達は消えることなく独自に活動する。
と、いっても何か目的があるわけではなく、ただ親の死徒に決められた通りに血を吸いに行くだけである。
厄介なのはその数で、彼らは被害が軽くても100近くの数がいる。
だというのに、一日に活動するのは1体か2体、多くても5・6体といったところ。
しかも、たまに活動していない日もあるのでその所為で町の浄化をやり終えるまでが本当に長くなる。
話は変わるが、朱い月は最古参の死徒達の俗称である『死徒二十七祖』の第三位でもある。
もちろん、それは今の彼女ではなく、以前にとある魔法使いの手によって滅ぼされた朱い月のことなのだが、それでもいずれ彼女が完全になったときはその位に座ることになる。
そんな彼女が、死者を狩るなんていう人間の味方のようなことをしていいのだろうか?
と、いうのが志貴の考えである。
けど、朱い月はそんな事は気にも留めていないようで、
「構わん、いつもならあやつがやることであろう。それに、妾は未だに完全ではないのでな。どちらかというと真祖寄りなのだ。だから、別に死者狩りをしてもおかしくはなかろう?」
さらりと、そう言ってのけた。
その調子なら心配ないだろうと志貴も納得して二人は町の見回りに赴いた。
余談だが、夕食は二人ともコンビニの弁当等で済ませている。食事を摂った場所も公園だ。
朱い月は、最初おにぎりの開封の仕方もわからなくて困っていたものだ。
まぁ、アルクェイドもコンビニで食事を済ませることがほとんどないから仕方ないだろう。
本来なら、もっと凝った場所で食事をするべきだと考えた志貴であるが朱い月の意向でそれは防がれた。
「妾はそのような場所で食事を摂ろうなどとは思わぬ。どうせなら、あの公園で食事をしてみようではないか。」
とのことであった。
それから、二人はコンビニで弁当やらおにぎりやら飲み物やらを買って、それらを公園で仲むつまじく頂いていたというわけだ。
その後は、適当に公園で時間を潰して時間になるのを待っていた。
魔を狩りし者と魔の頂点に立つものは、そうして町の浄化作業に入ったのだ。
それは、いつもの出来事でありながら、一度きりしかない出来事という矛盾のもとにあった―――。
志貴と朱い月が、町の見回りを始めて約一時間が経過した。
二人は、路地裏に来ていた。
こんな時間にこんな場所へ二人が来る理由はただ一つ。
そこに死者がいたからだ。
「一体―――か。」
志貴がポケットからもうすっかり手に馴染んだ得物のナイフ『七つ夜』を取り出す。
その動作は、どこか機械的で無意識の行動のようにも思えた。
七つ夜の刃を構えようとしたところで、朱い月に止められた。
「よい、一体だけなら妾だけで片付けようではないか。汝はそこで見ておれ。」
そう言って、朱い月が死者の前に躍り出る。
死者は、今まさに『食事』を行おうとしていたところだが、自らの生存本能に訴えられたのか朱い月の方に振り向いた。
「いいのか、姫?」
「何を言うておる。あやつなんぞ腕の一振りで充分じゃ。言っておくが、今の妾はあやつ――アルクェイドよりもずっと強いぞ。」
自信たっぷりに言う朱い月。
確かに、死者なら姫の腕の一振りでどうにでもできそうであるが、アルクェイドより強いって本当だろうか?
「でまかせではないぞ。何故なら、妾はあやつ程の吸血衝動を抱えておらぬのだからな。」
「そうなのか―――?」
「そうだ。妾はまだ事実上は血を吸ってはおらぬのだからな。だから、今妾を蝕む吸血衝動の強さなど、朝起きる時に『後三分は寝たいな〜』程度のものでしかない。」
死者の方に目を向けながら、淡々と志貴に説明する朱い月。
志貴にとっては、その三分はかなり貴重だったりもするがそれはまた別の話。
つまり、今の朱い月は真祖としての戦闘能力をほぼ100%発揮できる状態なのだろう。
それなら、心配するまでもない。
今の朱い月には、例え志貴が七夜モードに入っても勝てる見込みが限りなくゼロに近いのだから。
まぁ、それでも天の意思が七夜を勝たせてしまうかもしれないが……。
朱い月が右手をゆらり、と上げる。
見ると、死者が朱い月目掛けて歩いてきている。
その速度は相当遅く、志貴なら奴が一歩進むまでに数百回は殺せるだろうという距離だ。
おかげで、まだ朱い月と死者の距離は10mは離れている。
ゆらり、と朱い月が右手をゆっくり下ろす。
ただ、それだけの動作。
なのに―――、死者は四枚に切り裂かれていた。
どうということはない、ただ振り下ろした手が三つの真空の刃を作ってそれが死者を切り裂いただけのこと。
本当に、ただそれだけだ。
唖然とする志貴。朱い月の戦闘力は予想を遥かに超えていた。
アルクェイドの強さは自分もかなり知っているつもりだった。
そのままでも、アルクェイドはデタラメなくらいに強い。
それなのに、朱い月はそのアルクェイドの戦闘力を陵駕していた。
ただ空間を撫でただけで、ほんとうにそれだけの力で―――巨大な真空の刃を作り出した。
これが―――世界が生み出した抑止力の本来の力なのか―――。
「どうだ、志貴?容易いものだったであろう。」
「あ……、あぁ。そうだな、姫。」
朱い月の声で、志貴は思考から戻ってくる。
何はともあれ、これで今日の見回りは終わりだろう。
とりあえず、死者の餌食になりかけていた人を路地裏の出口近くに座らせて、朱い月が軽い暗示をかける。
これで、この人も日常に無事帰還することができる。
これ以上、ここにいる道理もないので路地裏に背を向けて歩き出そうとした。
その時―――、
「―――ッ!!!」
何かの気配を察知した朱い月がとっさに振り向く。
そこには、既に目の前で攻撃を繰り出している死者の姿があった。
さっきの死者は倒した。それは間違いない。
つまり―――、
「もう一体、隠れていたということか。」
そういうことだ。
存在規模が希薄すぎて、二人は見落としてしまっていた。
「姫っ!!」
志貴が咄嗟に叫ぶ。
けど、心配することは無い。
たかが死者の攻撃が朱い月に通用するはずも無い。
並の死徒なら何回かは殺せる攻撃を受けたって無傷の彼女だ。
こんなのはハエが止まったほどにも感じない。
死者の一撃が朱い月に直撃する。
ほら、朱い月にはダメージの欠片もない。平然とした格好でその場に立っている。
けど―――、
「―――っ!!!」
本日、これで何度目かの声にならない叫びを上げる。
彼女の身に何かがあったわけではない。
ただ―――、
クレーンゲームにて、志貴からもらった人形が今の攻撃で朱い月の懐から落ちていった。
その人形の体の辺りには、その攻撃の所為で大きく破けており中から綿が少し飛び出している。
それを見たとき、朱い月の中に今まで感じたことの無いような感情が芽生えた。
こんな感情は初めてだ。
頭の中が色々なことで埋め尽くされていき、それがぐちゃぐちゃになって、無くなって、真っ白になったかと思えば、また何かで埋め尽くされていく。
視界が段々とぼやけていき、目に映るヴィジョンから色彩が希薄になっていき、最後には何もまともに見えなくなる。
体の奥底から、何かが沸いて出てくる。それは、例えるなら火山の中に凝縮されている溶岩のような―――そんな血の滾り。
それは―――純粋な殺意
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁああぁあぁぁあああっっ!!!」
月光の下、路地裏に響く朱い月の咆哮。
それは、大地を震え上がらせ、夜の闇ですら砕けていきそうな程のものだった。
あらかじめこの場所にかけておいた暗示がなければ、瞬く間に誰かがやってきたであろう。
しかし、そんなものは関係ない。
朱い月がこれからやることは唯一つ。
目の前の愚かなる死者に自らのありったけの暴力をぶつけて、この世界から塵も残さず滅ぼし尽くす―――それだけだ。
いつの間にかだろうか、朱い月の目は金色と化していた。
この世界のあらゆるものを従わせてしまうような、その魔眼が開かれている。
何かに使うわけでもなく、ただ魔眼が無意識のうちに開かれているだけだ。
朱い月の両の腕が、死者に振るわれる。
先ほどの、撫でる程度とは遥かに差のある速度で、その力を直接叩きつけている。
それによって、最初の一撃で死者は既に動かなくなっていたが、それでも朱い月は止まらない。
死者を切り裂き、叩き潰し、細切れにし、粉砕し、塵の一つも残さないくらいに切り刻み、死者の肉体は消え失せた。
なのに、朱い月はその魂までも切り刻むかの如くその腕を振り回す。
辺りは巻き起こった真空の刃で滅茶苦茶になっている。
志貴は、その余波で被害者が死なないように余波を殺していたが、一瞬の隙を見つけると即座に朱い月の側まで駆け寄った。
そして、クレーンゲームでやったように後ろから朱い月を羽交い絞めにする。
「やめるんだ、姫。もう―――誰もいない。」
静かに、朱い月の耳元で呟くように志貴が言うと朱い月がぴたり、と行動を停止させる。
急に冷めていく朱い月の思考―――。
そうして、ようやく状況を理解した。
「―――妾は……。」
何をしていたのだろう?―――と、言いたかったが声が出なかった。
全身が、激しい疲労と虚脱感に見舞われる。
志貴が手を離すと、その場に崩れ落ちるかのように座り込んでしまった。
「―――妾は……。」
もう一度、同じ言葉を呟いた。その目にはうっすらと涙が浮かんできている。
志貴は、辺りを見回してすぐさま人形を拾ってきた。
余波のおかげで結構な距離を飛ばされていたが、不思議なことに傷一つ無い。
―――その、体に付けられた傷を除いては―――。
志貴はその人形を懐にしまうと朱い月のもとに歩み寄って、
「行こう、姫。こんなところにいても仕方が無い。」
と言って、路地裏から出て行こうとする。
その背中に向かって、朱い月が叫ぶように呼びかけた。
「待てっ!!その人形はどうするのだっ!!?」
もしかしたら、という最悪の考えを頭に浮かべながら朱い月が慌てて志貴を追いかける。
志貴は、軽く朱い月の方に振り返って―――
「直すよ。これぐらいなら俺にも出来そうだし。」
―――とだけ言った。
その言葉に唖然となりながら、朱い月は志貴についていった―――。
「ほら、これで見れるくらいにはなったよ。」
そう言って、朱い月に人形を返す志貴。
場所は公園、二人は本日三回目となるベンチに座っている。
ここで志貴は針と糸を使って人形の修復を試みた。
こんな時間に何処で裁縫道具を手に入れたのか不思議だが、コンビニで買ったということにしておいて欲しい。
まあ、その結果何とか人形の修復に成功したわけだが。
ただ、完全に修復したわけではなくやはり縫い目は残ってしまっている。
それでも、先ほどまでの状態と比べれば遥かにマシになった。
志貴から人形を受け取る朱い月、その表情は惚としていて何を思っているかわからなかった。
朱い月にしてみれば、何故先ほどあそこまで熱くなったのか、何故あそこまでこの人形に執着してたのかわからないでいる。
マジマジと人形を見つめて、どこかホッとしている自分に疑問を持つ朱い月。
そんな風に考えを巡らせていると、不意に志貴から言葉が出てきた。
「なんだか、これでこの人形がますます俺に似てきたな……。」
「―――、どういう意味だ?」
志貴の言ったことがよくわからなくて思わず聞き返す朱い月。
確かに、この人形は志貴に似ている。それはわかる。
では、ますますとはどういうことだろうか?
「あぁ、そういえば姫は知らないか。俺の胸の古傷のこと。」
服の胸元を開いて、その傷を朱い月に見せる志貴。
いきなり服を脱ぐような真似をするものだから、さすがの朱い月も驚いたが―――その傷を見てさらに驚いた。
胸を深々と何かが貫いたような傷痕、それは普通なら生きているようなものではない。
志貴のかつての親友、そして反転したがために敵対することとなってしまった人物、遠野四季―――ミハイル・ロア・バルダムヨォンの最後の転生体によって受けた因縁の傷。
そのロアこそアルクェイドの追い求めていた敵で、それを志貴が消滅させたことで一つの物語に終止符を打った。
この傷は、志貴と四季を繋ぐものでもあったのだ。
いまでは、もう思い出の品でしかないこの傷。
傷は遥か昔に塞がってはいるが、跡だけはこれから先一生消えることは無いだろう。
それで、何故この古傷が関係しているのかと言うと―――、
「ほら、この傷みたいにさ、その人形にも上半身の部分に傷痕が残っちゃったから。」
「そういう……ことか……。」
志貴の言葉を聞いて、納得する朱い月。
人形の傷は、服の部分は違う布を使って修復をしたから傷の跡はないのだが、その下の人の肌にあたる部分はなんとか傷口を縫いつけて直しただけなので、志貴の言うとおりにその縫い目が傷痕として残ってしまっている。
それを聞いたとき、朱い月はおかしな感覚を抱いた。
何だか、さっきまでの疑問がわかった気がする。さっき、何故あんなになってしまったのか、その答えが―――。
それに気が付いたとき、朱い月は人形を優しく抱くように持った。
その目からは、一滴の涙が零れ落ちた―――。
「姫……?」
「志貴……、やはり汝は良い人なのだな……。」
その朱い月の声は―――今までで一番優しく、穏やかなものだった―――。
その言葉の意味を掴みかねている志貴であったが、修復された人形を抱いて幸せそうな表情を浮かべている朱い月を見ていたら、その疑問も消えてなくなった。
しばらくの間、二人はそのままでいた。
別れの時は近い―――。
「さて、そろそろ家に戻らないといかんな。汝ももう帰らないと今日が辛いであろう。」
ベンチから立ち上がる朱い月。その顔は清々しいものを感じさせるが、それと同時にどこか愁いの表情も見えている。
時刻は午前一時―――、既に次の日となっていた。
今日は平日、つまり志貴には学校がある。
それに、屋敷の門限は遥か昔に過ぎてしまっているのでこれ以上時間を延ばしていると妹――秋葉の怒りが光の速さで増えていってしまう。
彼女は志貴がアルクェイドとデートすることも、町の浄化に参加することも賛同していない。
それも、志貴のを思ってのことだが、もう少し素直になれば志貴争奪戦争にも生き残れるのに……。
おっと、口が滑ってしまったようだ。いかんいかん。
と、まぁ志貴にしてみればいつもの事でもあるのだが、それでも秋葉の怒りはこの世界で怖いものベスト5にランクインしている。
けど、どうしても志貴はまだ帰る気になれなかった―――。
彼の中で渦巻く複雑な感情が、それを志貴から遠ざけている。
「どうした、志貴?帰らぬのか?」
いつまでも立ち上がらない志貴を見て、朱い月が呼びかける。
そんな朱い月を見て志貴は―――、
「なぁ、姫―――あんたは、どうなるんだ?」
一番聞いてはいけないこと―――、それでも一番聞きたかったことを口にした。
志貴の頭の中は今、もの凄い速度で思考錯誤が繰り返されて、自分の考えもわからなくなっている始末だ。
アルクェイドと朱い月、この二人は同時に存在することができない。
アルクェイドが表にいるときは、朱い月はその深層心理にて一人で過ごしている。
今日のように、朱い月が表に出てきた場合は、アルクェイドがどうなっているかわからない。
それは、"遠野志貴"と"七夜志貴"の関係に近い―――。
唯一違う点といえば、その二人が入れ替わる頻度だ。
志貴の入れ替わりの頻度はかなり多い。
今日みたいに、遠野志貴が自分の意志で入れ替わることもあれば、魔と対峙した時に強制的に入れ替わることもある。
七夜志貴は七夜志貴で、遠野志貴の影に隠れながらもそれなりの人生を送れている。
しかし、アルクェイドと朱い月は違う―――。
志貴がアルクェイドと付き合い始めてもう一年以上の時が過ぎている。
それなのに、朱い月が表に出てきたのは初めてのこと。
それも、自らの意思ではなく原因不明の出来事で―――だ。
今、彼女がこの場にいるのは――行き過ぎた言葉かもしれないが――奇跡に近い。
志貴は迷う―――自分の考えに。
アルクェイド―――彼女は志貴の恋人だ。しかし、永遠に近い時を生きる彼女ともはや先が長くないことを悟っている志貴とでは相対的に見て過ごせる時間はとても短い。
例え、志貴が人並み以上に長生きしてもせいぜい後70年程度。アルクェイドにしてみれば、それは瞬き程度とも取れる時間でしかない。
だから、志貴が消えて彼女が一人になっても、それからはその思い出で過ごせるようになって欲しいと願っている。
出来る限り、アルクェイドの側にいてやりたい―――という志貴の思い。
朱い月―――彼女とは――正確には違うが――昨日初めて出会った。彼女はアルクェイドの深層心理に住んでいる者で、本来なら外で出会うことはありえなかった。
けど、彼女は出てきた。そして人並みの日常を体験して、それがとても楽しいことであると知った。
だが、それだけでは彼女が本来の形に帰ってから過ごす時間に対して全然足りない。むしろ、昨日のことが苦痛に思えてしまうだろう。
そんな彼女を、放っておくことはできない―――という志貴の思い。
二つの思いは相反する形で志貴を挟むように立っている。
どちらかしか叶える事のできない思いの間に立ち、志貴は迷う―――。
志貴が朱い月に問いかけて、少ししたら朱い月から答えが返ってきた。
「戻るであろうな、本来のカタチに。その後は妾にもわからん。またすぐ表に出てこれるかもしれないし、もう完全となるまでは出てこれないかもしれん。」
それは、非情な答えだった。誰に対してかと問いかければ、それは誰よりも朱い月にとって―――だ。
志貴は苦悩した。自分は、もしかすれば彼女に対して残酷なことをしてしまっているのではないか?
そんな考えが志貴の頭を侵食し支配していく。
だが、そんな志貴に朱い月は微笑みかけて言う。
「そのような顔をするでない。汝は何も悪くない。それどころか、妾は感謝しておるのだ。
妾に、これほどの思いを与えてくれた汝にな。」
それは、嬉しさと悲しさの混ざったかのような声だった。
けれども、朱い月に後悔の気持ちは欠片も存在していない。
「妾は、これからは汝とあやつの日常を近くで見ていることにしよう。あやつの奥深く、妾の住まう領域でな。
それに、もしかすれば汝の夢の中で会えるかもしれぬだろう。妾には、充分過ぎる幸福だ。」
「姫……。」
志貴がベンチから立ち上がり対峙する二人。
それは、最後にお互いに別れを言うため―――。
二人の距離は近い、一歩進むだけでぶつかってしまうほどに。
「最後に―――妾の我侭を許して欲しい―――。」
聞いてくる朱い月に、志貴は二つの返事で了承した。
すると―――、
―――朱い月の唇が、志貴の唇に重ねられた―――
ただ、唇を重ねるだけの―――それも一瞬だけのキス。
次の瞬間、志貴の前から朱い月の姿は消えており公園には志貴が一人残されている。
「さらばだ。また縁があれば会おう。次に会うのは、現実か夢の中かはわからんがな―――。」
そう言い残していった朱い月の声だけが響いていた。
それに対して志貴は、
「あぁ、またな……姫。また、会おう……。」
一人で呟くようにして、朱い月に返事をした。
彼の懐に仕舞われた人形が、とても温かく感じた―――。
いつもと変わらない日常―――。
しかし、何かが変わった一日―――。
深淵に存在せし者を知った遠野志貴―――。
日常という幸せを知った朱い月―――。
彼は、彼女にも幸せを上げたいと願い―――、
彼女は、彼に平穏があることを願った―――。
それは、短い間の触れ合いの中で築き上げた二人の感情―――。
二人の出会い―――、二人の別れ―――。
それは一時か―――、それとも永遠か―――。
どちらにしても、二人は出会った―――、それだけは確かなこと―――。
そのことが、それぞれの日々に影響を与えたことは間違いない―――。
志貴に現れた迷い―――。
朱い月に芽生えた思い―――。
たった一日分の、長いようで短いような、大切な思い出―――。
二人を繋ぎ、この日を象徴する二つの人形―――。
そして、朱い月は確かに抱いた―――。
遠野志貴に対する、始めての淡い恋心を―――。
ちなみに、朝になって案の定目覚めたアルクェイドは昨日のことを全く覚えてなくて、その日を日曜日と勘違い―――。
そのことで、志貴を中心に大騒動が起きたのはまた別の話だ。
〜何かが変わった一日 完〜
―――あとがき―――
こんにちは、ラヴィスです。
私としては、初の短編。―――そのつもりがかなり長いです。
連載SSの二話分にも上る文量……、よくここまで増えましたね。
しかも、朱い月のことを結構把握できていないので性格がよくわからなくなりました。
「こんなの朱い月じゃない!!」と思われた方、申し訳ないです。
て、いうか朱い月って本来は男だった??
知りませんよ、そんな裏話!!(汗)(汗)(汗)
私もまだまだ修行中の身……、私に対する怒りはモニターの前で嘲笑うことで解消してくだされ。
これを書いている時点でのただいまの時刻―――AM6:25。
一気に書き終えて編集までしたので、こんな時間になってしまいました。
頑張るなぁ〜、自分。テ○○期間中なのにね……。
最後に、いつもいつもお世話になっている黒獣様。
SSの完成が予定よりかなり遅れてしまいました。
その遅刻に見合うほどのものではないかもしれませんが、どうぞ読んでやってくださいな。
そして、これからも自分とそのSSを温かい目で見守ってやってください。
それでは、今回はこの辺で失礼します。
余談ですが、あとがきを対話式にしたいなぁ〜〜〜……