七ツ夜の
――不必要な序章――
「散華 しろ」
光しか残さない刃の残影が煌 いた。
転瞬 ――
花びらが散り舞う。
血という名の赤い花びらが、美しく、華美に、中空に咲き誇り、降り注ぐ。
男は興味なさげに自分の作品を見下ろした。
その背中に、声がかけられた。
「美しいな」
言葉以上に、その声は美しかった。
「貴様には及ばんよ」
背を向けたまま、殺戮者は背後に云った。
「世辞のつもりか?」
「事実を述べているだけだ。貴様の十八分割、見事だった」
「そうか」
背を向けたまま、男は講釈をたれる。
「七つ裂きには誰にだってできる。まず、首、両手足を胴から分割する。
これで六分割、あとは、胴を二つに切り分けるだけで七つ裂きの完成だ。
問題は、八つ裂き以上――躰 のバランスを如何に崩さず、美しく解体するか。それこそが芸術だ」
男はゆっくり振り返る。
「吾 の限界は十七つ」
死神の双眸が女を映した。
「理解できんな」
と、女は云う。
「しなくていい、それより……なんだコレは?」
男は爪先で、先ほど解体した物体を指した。
爬虫類の鱗のような皮膚。一応は人型をしているが、あくまで一応だ。
肩には鋭利としか言えない突起物がついており、腕の先は手ではなく同じような突起物がついていた。
目はなく、顔の半分より後ろに裂けた口には無数の歯が並び、舌の代わりに肩と手と同じ突起物が口腔内に収まっていた。
「この身 が生み出した不安 という名の俗物だ」
男は「そうか」とだけ云った。
「なぜ、吾 はここにいる?」
「私が望んだから。不満か?」
云って、伝説の芸術家が生涯をかけても引くことのできない美しい眉をひそめた。
「否 」
男はかぶりを振った。
「むしろ、望むことろだ」
闇の世界は少年にとって馴染み深いものである。
彼にとって、闇は恐怖ではない。慣れ親しんだ自分の世界だ。
闇以外何も見えぬはずの世界に、闇よりも昏 い影が出現した。
黄金の髪しかし、光を返さず暗く、昏 く、なお冥 い黄金。
その影は少女の姿をしていた。白皙の美貌を黄金の髪と純白のドレスで彩った少女。
闇の中で白磁のような少女の肌と、血のように朱い瞳だけが彩色だった。
その姿は、少年がよく知る女性に似ていた。むしろそのものだった年齢以外。
「わたし に会いたくない?」
白と黄金のくせに影がそのまま溶け出したかのような暗さという矛盾を孕んだ少女は、澄んだ声色で訊いた。
少年は、小さく頷き、
「ああ。会いたいよ。すごく」
と答えた。
「そう」
少女の口唇は薄っすらと笑みを描く。
可憐な唇から、耳朶をくするぐ魔性の声が零れる。
「なら、わたしの死徒 になりなさい」
声色は少女のものだが、声の迫力は絶対者のそれだった。
「どうしてだ?」
少年は訊いた。
「人間の身ではわたしには追いつけないわ。それに――」
少女は一旦言葉を切り、ぞっとする蠱惑的な笑みを少年に向けた。
「わたしは貴方が欲しいのよ。遠野志貴」
――と、そんな夢を闇の中で幻視 た。
「おはようございます、志貴さま」
「ああ、おはよう」
遠野志貴は翡翠の声が聞こえた方向を向き、挨拶をした。
「気分はいかがですか?」
彼女は常に淡々という。それでも、翡翠を知っている者ならば声にこめられた心配の念が聞き取れるであろう。
「いつもどおりだよ」
志貴は微笑んだ。
志貴がベットから床に下りようとすると、翡翠は志貴の手をとった。
「お手伝いいたします」
「もう慣れたから、平気だよ。他の仕事に戻っていいよ」
「そんなわけには参りません」
翡翠は断固とした口調で告げた。
「もう、本当に大丈夫だって、いつまでも翡翠には迷惑をかけられないよ」
「これが私の仕事ですから、それに」
「それに?」
翡翠は頬を朱に染めて、
「志貴さまの力になることが私の喜びですから」
志貴は翡翠が真っ赤になって俯いている姿を想像して、微笑ましく思った。
翡翠の手を握り返し、立ち上がる。
翡翠は着替えがある所まで志貴を導いた。
どこに何があるかはほとんど把握している。先ほどいったように志貴はほとんど日常生活を送る上で問題はない。
聴覚と触覚、そして第六感を駆使すれば、周囲の様子を把握することなんて言葉通り朝飯前だ。
「包帯をお取替えします」
翡翠の言葉が首のうなじの辺りで聞こえ、その手が後頭部にある包帯の結び目に伸びていくのを志貴は感じた。
「いや、もう代えの包帯がないんだ。今日、シエル先輩のところに行ってもらってくるよ」
翡翠の指がピタリと止まり、少々空中を彷徨ったあと、腰の前に戻った。
「それでは、お待ちしております」
バタン、と扉が閉まる音を背中に受けつつ、志貴は着替えを始めた。
初めのころは悪戦苦闘の末、表裏反対に着てしまうという失態を犯してしまったが今では慣れたものだ。
ドアを開けると志貴の手にやわらかい手が重なった。
「食堂までご案内いたします」
「よろしく頼むよ」
もう、翡翠の手を煩わせることはないが、これは習慣となっていた。
断ろうとするとベットから降りるとき同様、翡翠の頑固な意思が発揮されてしまうことが理解したらしい。
大人しく翡翠の意向に従うことにした。
「はい」
少しだけ、本当に少しだけ嬉しそうに翡翠は頷いた。
「階段です。お気をつけください」
「ああ」
志貴は慎重な足どりで階段を降りる。
最初の頃、足をつまずいて翡翠の身体を押し倒してからその足どりは変わらない。
「おはようございます。兄さん」
ふと、下から妹の声が聞こえた。
「ああ、おはよう、秋葉」
翡翠が握っていない方の手を上げていう。
「兄さん」
咎めるような声。
ああ、また小言が始るな、と志貴は心の中で苦笑した。
「翡翠の手を煩わせることはないと仰っておりませんでした? ご自分にできることは自分ですると」
「ん、ああ、えーと」
「すみません」
志貴が答えに迷っていると、翡翠が頭を下げた。
「志貴さまはご自分でなさろうとしておりました。私が、志貴さまにお願いしてお世話をさせていただいているのです
ですから志貴さまを――」
「翡翠、貴方が甘やかすから兄さんがつけあがるのよ」
秋葉は最後まで言わせず、矛先を翡翠に向けた。
「あらあら、秋葉さま。そんなに翡翠ちゃんが羨ましいのですか?」
そこに陽気な声が割り込んできた。
「琥珀さん」
絶妙のタイミングの闖入者に思わず志貴はその名前を呼んだ。
「な、何をいっているの、琥珀」
動揺している声。遠野家当主の威厳は少しもない。
「まったまた。とぼけちゃって、素直じゃないんだから秋葉さまってたら、
本当は翡翠ちゃんみたいに志貴さんの手をとって歩きたいんじゃないんですか?」
「そんなわけないじゃない。私はただ自分でできることはするべきだという兄さんが自分で言った言葉を
教えてあげただけです」
「ふーん。そうなんですか、なら私がこんなことしちゃっても問題ないですね」
琥珀が小悪魔的な笑みを浮かべているところが志貴には容易に想像できた。
とてとてと階段を上る音、そして、翡翠に握られていない手に少しひんやりした手の感触がした。
たぶん、今まで台所で水仕事をしていたのだろう。
「さあ、参りましょう。志貴さん」
ころころと陽気な声で琥珀がいう。
双子に引っ張られながら、志貴は誰かの歯軋りの音を聞いた。
いつもの遠野家の朝の光景だった。
遠野志貴は光を自ら封印した。
いや、封印せざるを得なかった。
死を視る目の力は肥大化し、ブルーと呼ばれる魔法使いが彼に渡した『魔眼殺し』すらその力を封じることができなくなっていた。
ゆえに、彼は光を封印した。
街を歩く。それは今の志貴にとって難しいことではない。
常人をはるかに超えた感覚が、視覚という五感の一部を失っても彼に世界の在り方を教えてくれていた。
いや、逆に――
「っと」
背後から迫ってくる自転車を難なく避けた。
余所見をしていたらしく、前方の志貴のことには気がついていなかったようだ。
そう、視覚があったときより感覚が鋭くなっている。
視界が無くても不自由しない。
「――!?」
突然、志貴の感覚が異常を告げた。
マズイ。とんでもなくマズイ状況。
堕ちている。
志貴の身体は堕ちていた。
「んな馬鹿なッ」
マンホールでも空いていたというのか。
いくらなんでも気がつかない方がおかしい。
ふと、気がついた。
堕ちすぎている。
どこまでも、どこまでも浮遊感が続く。
突然、浮遊感がなくなり、靴裏が地面――と志貴が思っているもの――を踏みしめた。
闇の中に少女が浮かんでいた。
何も見えぬはずの世界に。
なるほど、と志貴は妙に納得した
「ごきげんよう。遠野志貴」
少女はドレスの端を摘んでちょこんとお辞儀をした。
「返事を聞きにきたわ」
「意外とせっかちなんだな。そういうことろはアルクェイドに似ている」
少女の名前を、ブリュンスタッドの名を、志貴は口にした。
「待つのは得意よ。でも、貴方の場合すぐ答えが聞きたかったの」
「そういうのをせっかちっていうんだよ」
少女はおとがいに指をあて、少し考えたあと、
「そうかもしれないわね」
少女は優雅な足どりで近づいてくる。
「それで、貴方の答えは?」
不必要なあとがき。
どうも初めまして、のぼやという者です。
ひとまず拙作をここまでお読みいただいて、本当にありがとうございます。できれば続きも読んでいただけると幸いです。
黒獣さまから朱い月のSSを書いてくれ、言われて愕然としながら書いたものです。
朱い月という存在は、自分には大きすぎて描ききれるものではありません。もともとの定義も怪しい、まさに究極の存在ですからね。
悩んだ挙句、こんな形になりました。ちっちゃい姫アルクと大人の姫アルクがそれぞれの志貴と一緒に、色々なことをする予定です。
つまりですね。作者の趣味が爆発しているということです。