夜の奇譚きたん






――無意味な第四章――
























「周りの環境とかな?」


「そう、それもあるわね」


「やっぱりね。秋葉とか、周りの環境で人格がつくられたっていうのはあると思っていたんだ


 秋葉――ああ、俺の妹のことね」


少女はこくりと頷いた。


「その秋葉なんだけど、遠野家の当主の立場っていうのか、お嬢様の環境で育ってきたんだ」

「知っているわ。妹さん、、、でしょう? つんつんした感じの」


「ははは、つんつんか。確かに秋葉は尖った感じだもんな。鋭角的に」


志貴は、つんつんとした感じの妹を思い出して、ぷっと笑みを零した。

兄さん、、、に対してでしょう?」


「なんでもお見通しってことだね」


ぽりぽりと頭を書きながら苦笑する。

「志貴のこと何でも知りたいから、知っていたいから。それがわたしアルクェイドとわたしの願望よ」


真剣に、じっと志貴の蒼い瞳を見つめながら少女は告げた。


どこまでも深く澄んでいる瞳から逃げるように、志貴は冗談めかしていう。


「俺にはプライバシーはないのかよ?」


「あの屋敷にいる限り無理じゃないのかしら」


「ま、そりゃそうだね」


どこかの吸血鬼は無遠慮に窓から侵入してくるし、


割烹着を身にまとった小悪魔に対してはプライバシーを守るなんて夢のまた夢の話だ。


「志貴のそういう正確もあの屋敷の環境が作ったの?」


「たぶんね、それ以外にも色々要因はあるだろうね。


 たとえば、666体の獣の化け物を相手にしたり、


 無限に転生する吸血鬼を相手取ったり、


 夢が創り出した“最強最悪の紅”と死闘したり、


 人々の噂が具現化した存在と戦ったり――そんな非日常と」


志貴は遠く、空を見上げた。


静謐な眼差しは、色々なものを背負ってそれでも生きようとする者の目だ。


「それと、何?」


少女は興味津々に訊いてくる。


志貴は少女へと視線を移し、述懐した。


「ワガママなお姫様に振り回されたり、


 物騒な仕事をしている先輩と一緒にカレーを食べたり、


 つんつんとした妹に説教させられたり、


 ものすごく真剣なのにどうしてもうまく出来ないメイドさんの料理を食べたり、


 笑顔で地獄への片道切符を渡してくる割烹着の人にはめられたり、


 そんな当たり前の日常が、今の俺を作ったんだと思う」


「当たり前……なの?」


「俺にとってはね」


「志貴はすごいな。そういうこと言えるなんて」


「これも慣れだよ。慣れ」


「慣れっていう言葉で片付けてしまうところ、そういうところがすごいのよ」


少女はお世辞でもなんでもなく素直に志貴をすごいといった。


面と向かっていわれると正直気恥ずかしい。志貴は少女の眼差しから顔をそむけた。


「もし……」


ふと、少女の声が沈んだ。


「もしもね、そういうことが全部、ちっぽけで微小な瑣末なことになってしまったら、志貴はどうする?」


「え?」


返す言葉がない。そんなこと考えもしないからだ。


「ごめんね。そんなの答えられるわけないよね」

志貴ははっ、、と気がついた。


これこそがこの少女が志貴に伝えたいことなのではないだろうか。


そのために、俺に「人格とか性格とか、どうやってつくられると思う?」などという質問をしたのだと。

「真祖が環境から、つまり世界、、から情報を汲み上げるって知ってる?」


「ああ、でも――」

志貴が言いかけた言葉を少女が代わりに言った。

「人格が平均化する。あらゆる情報がわたしアルクェイドを押しつぶし、別のモノに変えていく」


だからアルクェイドは書物を読んだり、テレビを見ながらこの世界の知識を吸収していた。


「まさか――」


志貴の心臓がドクンと跳ね上がった。


まさか、まさか、まさか――

真逆まさか――




















「また、そなたか」


「そんなに嫌そうな顔をしなくてもよろしいではないですか。朱い月の器」


法衣の男は大仰に腰を折った。


法衣の男は表面上慇懃に、しかし心の底ではどう思っているかうかがえ知れない。


「それはそなたがそう思っていいるからそう見えるのであって、わたしはそなたに特に感情を抱いてはおらぬ」


法衣の男は軽く肩を竦ませ、女に応えた。すぐ脇にいる男を一瞥する。


「はじめまして……そう云うべきか?」


男が口を開いた。不思議と、平淡な口調だった。


「ええ、はじめまして」


「貴様も遠野志貴の可能性の一つだったのか?」


「だった? いえ、今もです」


法衣の男は首を振った。


「ふん、その程度の存在で、可能性の一つといえるのか?

 魂の劣化複製――それがそなたが求めた“ロウ”の結果だ」


朱い月は断言した。


「魔力回路、肉体的能力。そんなものは私は求めていませんよ。現に、わたしはこうして存在している。それで十分です」


「詭弁だな」


「ええ、詭弁です」


法衣の男はにっこりと微笑んだ。そしてこんなことをのたまった。


「それにしてもどういう心変わりですか? この現象は、貴女が起こしたのでしょう。


 どうしてアルクェイド・ブリュンスタッドをわざわざ助ける真似をするんです。


 貴女としては、彼女の人格が平均された方が好ましい状況になるのでは?」


女は無言だった。


沈黙は、肯定を意味している。


「この身がそれを赦さない。それに……」


今度の沈黙はさらに長かった。


実際は一刻だったのかもしれない。だが、女には悠久に等しい時間だったに違いない


「……遠野志貴に興味がある。これが答えでは不服か」


不機嫌そうに女は云った。


「はっ、ははは、はははははははは。そうか! そうですか!!」


急に法衣の男は狂ったように笑い始めた。

哄笑こうしょうが、誰もいない城内に反響する。


「それが聞きたかった。やはり貴女はアルクェイドです」


女は意味がわからず、顔をしかませた。美貌が「説明せよ」と命令している。


視線の圧力を無視し、法衣の男はくるりと身を翻した。


その視線の先には、魔兵たちが蠢いていた。


「やれやれ、せっかくの情報をこのように転換するなんて勿体無いことこの上ないですな

 召喚ばれたからには、その責務を果たすとしましょうか」


法衣の男は魔兵たちへと向かって走ろうと膝をたわめた。


「まて、そなたは何がいいたい」


女が背中に問いかけた。


「相手への興味――その言葉は『好意』という言葉に置き換えられることもあるということです」


そういい残して法衣の男は床を滑るように疾駆した。

女は呆然としていた。云われた言葉を頭の中で何度も反芻はんすうし、法衣の男に反駁はんぱくしようと試みた。


が、言葉が浮かんできたときには法衣の男の姿は魔兵の死骸と共に消えていた。

オレだけでなく、あんな者になる可能性すら秘めていたとは……オレのことながら恐ろしいな」


男がポツンと呟いた。


「云っておくが、私はそなたのことを好いてはおらぬぞ」


女はくるりと男の方に向き直ると、ムキになった様子でまくし立てた。

「この私が、たかだが人間ごときに好意を寄せるなぞありえん。それに元々私はそういう存在、、、、、、ではない!!」


女は自分を支えている矜持を必死に守るがごとく声を張り上げた。

「こんな気持ちになるのは全てこの身アルクェイドのせいだ。そうでなければこのようなこと……」


訊いてもいないのに、必死に言い訳を云う女を、制し男は静かに云った。


「ようするに、お前も遠野志貴を愛しているということだな」


鋭く、冷たく、男の言葉は刃のように心の弱い部分を貫いた。


――心? そんなものが自分に備わっていたのかと、女は今更ながら気がついた。


「――っっっ!!」


しばらくして、


「う、うつけが!! そのような戯れ言、よく私の前で口に出来るな」


昂ぶる女に対して、あくまで男は鋭利で冷たかった。

「戯れ言、虚言、狂言。それこそオレたちそのものではないのか?」


男の言葉に、女は冷や水をかけられたように身を戦慄かせた。


「……かもしれん」


そういったきり、女は押し黙った。


男は口元を綻ばせ、


「認めてしまえ。お前はアルクェイド・ブリュンスタッドなのだからな」


そう口にして、女を驚愕させた。


「そ、それは――」


女は珍しく言いさした。


反論、


反駁、


そういった類の言葉が出てこない。


そんな女に助け船を出すかのごとく、男はこの話を切り上げた。


「さて、あの男は自分の責務を果たした。吾も、ここに呼ばれた責務を果たそうとするか」


男は歩き始める。


牢獄のごとし城の回廊の中を、悠然と、それでいて一切の足音と気配を消して、歩く。


「そなた……気づいていたのか?」


「気がつく。何にだ」


「この世界のこと。魔兵たちのことに、だ」


「さあな。そんなことは知らん。あいつらがどのような理由で生まれたのかなど、興味がない。

 ただ――貴様が吾にあいつらを魔殺ころすことを望んでいる。それだけは理解わかる。

 遠野志貴、、、、のために血路開くこと。死屍累々、死山血河、風死雨紅。


 それが吾の存在理由なのだろう?」

そううそぶいて、ククッと喉を鳴らす。


女は本日何度目かになるぽかんと呆然とした顔を見せた。


「そなたには本当に驚かされる。私がこれほど驚いたのは有史以来初めてだ」


次の瞬間、女は最高の驚愕の味を知った。



まったくの不意打ち――



予想するなど不可能――



対処することなど絶無――



男は唐突に女の腕を掴むと、彼女を身体ごと自分の身体へ引き寄せた。


そして、そのまま強く唇を重ねた。


「ん……んんんッ」


くぐもった吐息が二人の唇の中に消える。


女は一瞬驚いて、身をびくんとさせたが払いのけることはしなかった。


驚愕の味は、わずかに血の匂いがする男の唇の味だった。


どちらともなく、名残惜しげに唇は離れた。しかし、身体は離れない。


男は女を抱きしめ、女はおずおずと男の肩に頭をあずけた。


「戯け……たことを」


小さく女は云った。

「遠野志貴はアルクェイド・ブリュンスタッドをいている。こうするのは当然であろう」


「他人事のように云うな」


「ある意味、他人事だからな」


軽く、女は男の胸を叩いた。咎めるような仕草だった。


「そなた……よく口が回る」


ばっといきなり、男が女の身体を突き放した。


「無粋な」


男は蒼い目をナイフのように細め、そいつらを一瞥した。


城の回廊を、異物が埋め尽くしていた。


幻想種の大群を前にして、男は平然としている。


そればかりか、不敵に微笑んでさえいる。

「ようこそ……が惨殺空間へ」

転瞬てんしゅん――

男は天井、、を歩き、


刹那――


死の花が幾つも大輪を咲かせた。











無意味なあとがき

システムとは有機的につながりあったある目的のために作り出された関係を指す言葉です。
そこには個人の意思よりもある目的のために全てを犠牲にする非常さが含まれているように思うのです。
何が云いたいかといいますと、“朱い月”という存在はシステムであり個人の枠には当てはまらない存在のように思えるのです。
朱い月はシステムであり、ある種の現象のような存在なのかもしれません。
そんなことを考えつつ、つらつら書き連ねた話です。
そういえばこの話は『男』やら『女』やら『少女』の代名詞を多数、使用しております。
理由は男に『七夜』の名を与えるのは不適当だと思いましたし、女に『朱い月』の名前を与えるのもなんか違うな、という感じです。
あくまで志貴とアルクェイドの万華鏡の一面かと。角度が変われば、人の面は面白いように変容するのもだと思います。
この二人は変容しすぎか……。